養生訓165(巻第三 飲食 上)
食物の気味(きみ)、わが心に、かなはざる物は、養(やしな)とならず。かへつて害となる。たとひ我がために、むつかしく、こしらへたる食なりとも、心にかなはずして、害となるべき物は食ふべからず。
又、其(その)味(あじ)は心にかなへり共、前食(ぜんしょく)いまだ消化せずして、食ふ事を好まずば食すべからず。わざととゝのへて出来(でき)たる物をくらはざるも、快(こころよ)からずとて食ふはあしゝ。前に使令(しれい)する家僕(かぼく)などにあたへて食(くら)はしむれば、我が食(しょく)せずしても快(こころよ)し。他人の饗席(きょうせき)にありても、心かなはざる物くらふべからず。又、味心(あじこころ)にかなへりとて、多く食(くら)ふは尤(もっとも)あしゝ。
意訳
「自分に合わない」と思った食べ物は、どんなに高価であっても食べないほうが良いでしょう。ただ、振舞ってくれた方への感謝は忘れずに、お持ち帰りにしてもらうことで、この料理を好きな人に食べてもらうことも出来ます。
通解
食物の質や味わいは、自分の心に合わないものは、栄養とはならずむしろ害となります。たとえその食べ物が美味しくても、心地よく感じないなら、食べないほうが良いでしょう。自分のために、難しく手の込んだ食事でも、心にそぐわないなら避けるべきです。また、好物なものであっても、前の食事がまだ消化されていない状態で次の食事は控えたほうが良いでしょう。自分で手をかけて作った料理であっても、心地よく感じないなら食べるべきではありません。家の使用人などに振る舞いましょう。無駄になりません。他人の宴席に出席している場合でも、心に合わない物を食べるべきではありません。また、美味しいと感じる味わいでも、過度に食べることは特に避けるべきです。
気づき
美食を前にして我慢することは並大抵の忍耐力ではないでしょう。ただ、過食せずとも美味を味わうことは可能かも知れませんね。