養生訓142(巻第三 飲食 上)
食する時(とき)五思(ごし)あり。一には、此の食に来る所を思ひやるべし。幼くしては父の養いうけ、年長(としながく)しては君恩(くんおん)によれり是れを思ひて忘るるべからず。或(あるいは)は君父(くんぷ)ならずして、兄弟親族他人の養をうくる事あり。是れ亦(また)其の食の来る所を思ひて、其(その)めぐみを忘るべからず。農工商のわがちからに、はむ者も、その国の恩を思うべし。二には、此の食もと農夫勤労して作り出だせし苦しみを思いやるべし。わするべからず。みづから耕(たがや)さず、安楽(あんらく)にて居(い)ながら、其の養をうくる其の楽しみを楽しむべし。三には、われ才徳行儀(さいとくぎょうぎ)なく、君(きみ)を助け民(たみ)を治(おさ)むる功(こう)なくして、此の美味の養いをうくる事(こと)幸(さいわ)ひ甚(はなは)だし。四には、世に、われより貧しき人多し、精糖(せいとう)の食にもあく事なし。或はうえて死せるものあり、われは嘉穀(かこく)をあくまでくちひ、飢餓(きが)の憂(うれ)いなし、是れ大なる幸(さいわ)いにあらずや。五には、上古(じょうこ)の時を思うべし。上古には、五穀(ごこく)なくして、草木の実(み)と根葉(ねは)を食して飢(うえ)をまぬかる。その後五穀出来(ごこくでき) ていてもいまだ火食(かしょく)をしらず、釜甑(かまこしき)なくして者(しゃ)食(しょく)せず。生(なま)にてかみ食(くら)はば味なく、腸胃(ちょうい)をそこなうべし。今、白飯(はくはん)をやはらかに煮て、ほしいままに食し、又あるものあり飣(さい)ありて、朝夕食に飽(あき)けり。且(か)つ酒體(しゅれい)ありて心を楽しましめ、気血(きけつ)を助く。されば朝夕、食するごとに此五思(ごし)の内、十二なりとも、かはるがはる思ひめぐらして忘るべからず。然(しか)らば日々に楽も亦その中に有るべし。是(これ)愚が臆説(おくせつ)なり。妄(みだ)りにここに記す。僧家には食時の五観(ごかん)あり。是に同じからず。
意訳
食事をする時に、生産者の勤労への感謝、生き物の食材についての感謝、また、今、飢餓に苦しまないで済むことへの感謝、そして、昔、王でも食べられなかった食材を食べられる感謝の気持ちがあれば、たとえ、高価な食事でなくても、幸せな気持ちになるでしょう。
通解
食事をする際には、以下の五つの思考が大切です。まず第一に、その食事がどのようにして自分の前に来るものであるかを考える必要があります。幼い頃には親が養ってくれ、成長してからは君主や恩人のおかげで食事が提供されていることを忘れてはいけません。また、君主や親ではない場合でも、兄弟や親戚、他人の助けによって食事を得ているかもしれません。このような場合でも、その恩を思い出さずにはいけません。
次に、食事は農夫たちが辛苦を重ねて作り上げたものであることを思いやる必要があります。自分自身が農作業を行わず、楽な生活を送っている一方で、その労苦を経験する人々のために食事を楽しむべきです。
第三に、自分の才徳や行為による功績がないままに、美味しい食事を享受できることは非常に幸運なことであると思うべきです。
第四に、世界には自分よりも貧しい人々が多く存在し、粗末な食事でも何も文句を言わずに済ませている人々もいます。その一方で、高級な食事を楽しむことができる自分にとって、それは大きな幸せであることを理解すべきです。
最後に、古代の時代を思い起こすことも重要です。過去の時代には五穀の収穫がない時期もあり、草木の実や根葉を摂取して飢えをしのいでいました。五穀が生まれた後でも火を使って調理する知識がなく、食事をするための調理器具も存在しませんでした。現代では白飯を調理しやすくして食べ、また様々な食べ物が豊富にある中で、自由に食事を楽しむことができます。こうした点を考えることで、食事の大切さや感謝の念を持つことができます。
以上の五つの思考を持ちながら、食事を摂ることで、その食事の重要性や感謝の意味を忘れずに済むようにすべきです。これによって、食事を楽しむだけでなく、日々の幸せを感じることができるでしょう。これは私の個人的な意見であり、ただの思いつきです。また、僧侶の中には食事の際に五つの観念を持つ習慣がありますが、これと同じとは限りません。
気づき
最近、御馳走を食べたいな。と思った時に、思い浮かばないことないですか?
今では、焼肉とか、寿司とか、レストランで洋食とか、日常で食べられるようになって来ているので新鮮味がなくなった気がします。それとも、年なのでしょうか?
才徳行儀とは
才徳行儀(さいとくぎょうぎ)は、日本の伝統的な価値観や教養において重視される概念です。これは、一般的に優れた人物や良識ある人間とされるために必要な資質や態度を指します。各要素には以下のような意味が含まれています:
才(さい): 才能や能力を指します。学問や芸術、スポーツなど、あらゆる分野での優れた才能を持っていることが重視されます。
徳(とく): 道徳的な品性や美徳を指します。正直さ、誠実さ、礼儀正しさなど、他者との関わりや社会において望ましい価値観を表現します。
行儀(ぎょうぎ): 礼儀正しい態度や行動を指します。社会での適切な振る舞いや礼儀を守り、他者との良好な関係を築くために大切にされます。
これらの要素が組み合わさり、「才徳行儀」を身につけた人物は、単なる才能だけでなく、徳のある品性や良識、礼儀正しい態度を持っているとされ、一般的には尊敬されることが期待されます。この概念は、日本の伝統的な教育や道徳教育において重要視されています。
上古とは
「上古」(じょうこ)は、主に文学や歴史の文脈で使用される用語で、時間の遠い過去を指します。この言葉は、ある時代や文明の初期の段階を指す際に使われます。一般的には、「上古の時代」という表現がよく見られます。
ただし、具体的に何を指すかは文脈に依存します。例えば、中国の歴史や文学において、「上古」は、古代の初期の時代を指すことがあります。日本の歴史や文学においても同様で、古代日本の初期の時代を指して使われることがあります。