養生訓395(巻第八 灸法)
方術(ほうじゅつ)の書に、禁灸(きんきゅう)の日、多し。其日、その穴をいむと云(いう)道理、分明(ぶんめい)ならず。内経に、鍼灸の事を多くいへども、禁鍼(きんしん)、禁灸の日をあらはさず。鍼灸聚(しんきゅうじゅう)英(えい)に、人(じん)神(しん)、尻(こう)神(しん)の説、後世、術家(じゅつか)の言なり。素問難経(そもんなんけい)にいはざる所、何ぞ信(しん)ずるに足らんや、といへり。又、曰く、諸の禁忌(きんき)、たゞ、四季の忌む所、素問に合ふに似(に)たり。春は左の脇(わき)、夏は右の脇、秋は臍(ほそ)、冬は腰(こし)、是也。聚英(じゅえい)に言所(いうところ)は、かくの如し。まことに禁灸の日多き事、信(しん)じがたし。今の人、只、血忌日(ちきにち)と、男子は除(のぞく)の日、女子は破(やぶる)の日をいむ。是亦、いまだ信(しん)ずべからずといへ共、しばらく旧説(きゅうせつ)と、時俗(じぞく)に、したがふのみ。凡(およそ)術者(じゅつしゃ)の言、逐一(ちくいち)に信じがたし。千金方(せんきんほう)に、小児初生(しょせい)に病なきに、かねて針灸すべからず。もし灸すれば癇(かん)をなす、といへり。癇は驚風(きょうふう)なり。小児、もし病ありて、身柱(ちりけ)、天枢(てんすう)など灸せば、甚(はなはだ)いためる時は、除去(のぞきさり)て、又、灸すべし。若(もし)熱痛の甚(いた)きを、そのまゝにて、こらへしむれば、五臓を、うごかして驚癇(きょうかん)をうれふ。熱痛甚(いた)きを、こらへし、むべからず。小児には、小麦の大さにして、灸すべし項(うなじ)のあたり、上部に灸すべからず。気のぼる。老人、気のぼりては、くせになりてやまず。
養生訓(意訳)
お灸をする場所は、いろいろあります。自分の 阿是(あぜ)の穴を知るのも大切です。
通解
方術の書には禁灸の日について多くの記述がありますが、その日に灸すべき穴は明確に示されていないことがあります。内経には鍼灸のことが多く記されていますが、禁鍼や禁灸の日については触れられていません。鍼灸術の専門家が人間の神経や尻の神経に関連すると説明しているが、これは後世の術家の主張です。素問難経にはこのような記述はなく、なぜ信じるべきなのか疑問が投げかけられています。
また、四季の忌むべき箇所に関する忌み日のことは素問に合致しているとされています。春は左の脇、夏は右の脇、秋は臍、冬は腰です。術の専門家たちの主張はこのような内容です。しかし、禁灸の日が本当に多いのかは疑わしいです。現代の人々は血忌日や男性の除く日、女性の破る日に灸を避ける傾向がありますが、これもまだ信じるべきではないとされています。一時的には旧来の説や時の風習に従うことがありますが、術の専門家の主張は一つ一つ信じがたいものです。
千金方によれば、赤ん坊が病気でない場合、初めて針灸を行うべきではありません。もし行った場合、癇(かん)が起こるとされています。癇は驚風とも呼ばれます。赤ん坊が病気で身柱や天枢などを灸すれば、非常に痛みを感じる場合は、取り除いてから再度灸を行うべきです。熱や痛みが強い場合には、そのまま灸を続けることは避けるべきです。赤ん坊には首の後ろの部分に小麦粒ほどの大きさで灸するべきであり、上部には灸を行うべきではありません。気が上昇しやすいです。高齢者も気が上昇することがあり、習慣になってしまい止められません。