養生訓48

「古(いにしえ)の君子は、礼楽(れいらく)をこのんで行なひ、射御(しゃぎょ)を学び、力を労動し、詠歌舞踏(えいかぶとう)して血脈を養ひ、嗜慾(しよく)を節にし心気(しんき)を定め、外邪を慎しみ防(ふせぎ)て、かくのごとくつねに行なへば、鍼・灸・薬を用ずして病なし。是,君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。
病多きは皆,養生の術なきよりおこる。病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母より,うけし遺体(いたい)にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療(いや)すは、甚(はなはだ)末の事、下策なり。
たとへば、国をおさむるに、徳を以すれば、民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。又、保養を用ひずして、只(ただ)薬と針灸を用ひて病を、せむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下(しも)を治むる道なく、臣民(しんみん)うらみそむきて、乱をおこすを、しづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。百たび戦って百たびかつとも、たつと(尊)ぶに、たらず。養生をよくせずして、薬と針・灸とを頼んで病を治するも、又かくの如し。」

意訳

昔の賢い生き方の人は、趣味の音楽を聴いたり、スポーツを見たり、自分で行ったりして、ストレスを発散すれば薬など必要ないと言います。
これが、一番いい生き方であると思います。
病気になれば、苦い薬をのみ、手術など痛い思いをします。
これは、賢いやり方ではないはずです。
例えば、徳をもって国を治めれば、一揆も起きない。
また、仮に百勝したとしても、だれも喜ばない。
病気の予防も同じことが云えるのです。

通解

古代の君子は、礼楽を重んじて実践し、射御を学び、力を労働して身体を鍛え、詠歌や舞踏を通して血脈を養い、嗜好を節制し心と気を整え、外邪を慎み防ぎながら、このような生活を常に実践すれば、鍼・灸・薬を使用する必要はないでしょう。これが君子の行うべき方法であり、最善の策です。

病気が多いのは、養生の術を知らないためです。病気になってから薬を服用し、痛みを我慢して鍼や灸を受け、父母から受け継いだ体に傷をつけ、火を使って熱痛を耐え忍びながら病気を治療するのは、極めて危険で最悪の方法です。これは下策と言えるでしょう。

たとえば、国を治めるとき、徳を重んじれば民は自然に服従し乱れは起こらず、戦争を行う必要もありません。同様に、養生を怠って薬と針灸だけに頼って病気を治すのも、国を治めるときに徳を用いず、適切な政策がない状態で臣民が不満を抱いて乱れを引き起こすことに似ています。何度戦っても必ずしも勝利するとは限りません。養生をしっかり行わずに薬や針灸を頼って病気を治療することも同様です。

「射御」とは

「射御」は、古代日本の武道や弓道に関連する用語です。この言葉は、弓道において、的に矢を的中させる技術や技巧を指す際に使用されます。射御は、弓術の練習や競技において非常に重要な要素であり、的に矢を正確に射るための訓練として行われます。

射御には以下のような要点が含まれます:

姿勢と構え: 射御の基本は、正確な姿勢と構えから始まります。弓を引くための体の姿勢や足の位置、腕の伸ばし方などが重要です。適切な姿勢は、的に向かって正確に射るために必要です。

弓の扱い: 弓の使い方も射御の重要な要素です。弓の引き方や矢を弦にセットする方法、弓の持ち方などが技術的なスキルに関わります。

瞑目射: 一部の射道では、目を閉じたままで的に矢を射る「瞑目射(めいもくしゃ)」が行われます。これは直感的な射撃の訓練であり、射御の一形態です。

集中力と精神力: 射御においては、集中力と精神力も重要です。的に向かって射る際に冷静さを保ち、精神的な安定を持つことが、的中率を高めるために不可欠です。

試合と競技: 射御は競技会や試合の中で競われることがあり、正確な的中を競うことがその目的の一つです。競技の際には、射手は射御の技術を最大限に発揮し、的に矢を集中させる必要があります。

射御は、弓道の技術や修行の一環として、正確さと精密さを追求するために重要な訓練です。弓道の実践者は、射御を通じて物理的な技術と精神的な力を高め、的中率を向上させることを目指します。

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