養生訓26(巻第一総論上)
「古(いにしえ)の君子は、礼楽(れいらく)をこのんで行なひ、射御(しゃぎょ)を学び、力を労動し、詠歌舞踏(えいかぶとう)して血脈を養ひ、嗜慾(しよく)を節にし心気(しんき)を定め、外邪を慎しみ防(ふせぎ)て、かくのごとくつねに行なへば、鍼・灸・薬を用ずして病なし。是,君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。
病多きは皆,養生の術なきよりおこる。病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母より,うけし遺体(いたい)にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療(いや)すは、甚(はなはだ)末の事、下策なり。
たとへば、国をおさむるに、徳を以すれば、民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。又、保養を用ひずして、只(ただ)薬と針灸を用ひて病を、せむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下(しも)を治むる道なく、臣民(しんみん)うらみそむきて、乱をおこすを、しづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。百たび戦って百たびかつとも、たつと(尊)ぶに、たらず。養生をよくせずして、薬と針・灸とを頼んで病を治するも、又かくの如し。」
意訳
昔の賢い生き方の人は、趣味の音楽を聴いたり、スポーツを見たり、自分で行ったりして、ストレスを発散すれば薬など必要ないと言います。
これが、一番いい生き方であると思います。
病気になれば、苦い薬をのみ、手術など痛い思いをします。
これは、賢いやり方ではないはずです。
例えば、徳をもって国を治めれば、一揆も起きない。
また、仮に百勝したとしても、だれも喜ばない。
病気の予防も同じことが云えるのです。
通解
古代の君子は、礼楽を重んじて実践射御を学び、力を労働して身体を鍛え詠歌や舞踏を通して血脈を養い嗜好を節制し心と気を整え外邪を慎み防ぎながら、このような生活を常に実践すれば鍼・灸・薬を使用する必要はないでしょう。
これが君子の行うべき方法であり、最善の策です。
病気が多いのは養生の術を知らないためです。
病気になってから薬を服用し痛みを我慢して鍼や灸を受け父母から受け継いだ体に傷をつけ火を使って熱痛を耐え忍びながら病気を治療するのは極めて愚かの方法です。これは下策と言えるでしょう。
たとえば、国を治めるとき徳を重んじれば民は自然に服従し乱れは起こらず戦争を行う必要もありません。
同様に、養生を怠って薬と針灸だけに頼って病気を治すのも国を治めるときに徳を用いず適切な政策がない状態で臣民が不満を抱いて乱れを引き起こすことに似ています。
百戦しても無益な戦いです。これと同じように養生をしっかり行わずに薬や針灸を頼って病気を治療することと相通じます。
「射御」とは
「射御」は、古代日本の武道や弓道に関連する用語です。この言葉は、弓道において、的に矢を的中させる技術や技巧を指す際に使用されます。射御は、弓術の練習や競技において非常に重要な要素であり、的に矢を正確に射るための訓練として行われます。