養生訓124

人のあやまりて、わざはひとなれる事は、皆不知(ふち)よりおこる。赤子(あかご)のはらばひて井(い)におちて死ぬるが如し。灸(きゅう)をして身の病をさる事をしれる故、身に火をつけ、熱く、いためるをこらえて多きをもいとはず。是(これ)灸(きゅう)のわが身に益ある事をよくしれる故なり。不仁(ふじん)にして人をそこなひくるしむれば、天のせめ人のとがめありて、必わが身のわざはひとなる事は、其理明らかなれども、愚者(ぐしゃ)はしらず。あやうき事を行ひ、わざはひをもとむるは不知よりおこる。盗は只(ただ)たからをむさぼりて、身のとがにおち入(いる)事をしらざるが如し。養生の術をよくしれらば、などか慾にしたがひてつゝしまずやは有べき。

意訳

知恵がないために人は災いとなる誤りを犯します。養生の必要性をよく理解すれば必ず、実行します。例えば、お灸のようなものです。最初は、熱くて苦しいですが、良くなることを知っているので我慢できます。

通解

人々の過ちが、無知から生じることはよくあります。赤ん坊が穴に落ちて死ぬこともその一例です。同様に、灸で身体の病を治療する方法を知っているため、火を使って自分を温め、身体を温めることを耐えるのです。これは、灸法の効果を理解しているからです。人を害し悪意を持って行動すると、天の摂理によって必ず罰せられることがあるため、自分の行動が明らかな理屈であっても、無知な者はそれを知りません。危険な行動をし、他人の損害を引き起こすのは、無知から生まれるものです。盗人がただ財産を欲しがり、その結果自分の過ちによって罪を犯すのと同じようにです。養生の方法をよく理解していれば、あやうい欲望に負けて無謀な行動をすることはなくなります。

気づき

原因があるから結果がある。いわゆる因果は、生活習慣の改善にも当てはまるようですね。正しい生活習慣の改善の知恵を得たいものですね。

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