養生訓84
「養生の道は、恣(ほしいまま)なるを戒(いましめ)とし、慎(つつしむ)を専(もっぱら)とす。
恣(ほしいいまま)なるとは、慾にまけて、つつしまざる也。
慎(つつしみ) は、是(これ) 恣(ほしいまま)なるの、うら也(なり)。
つつしみは、畏(おそるる)を以(もって)本(もと)とす。
畏(おそ) るるとは、大事にするを云。
俗(ぞく)のことわざに、用心は臆病にせよと云がごとし。
孫真人(そんしんじん)も「養生は畏るるを以(もって)本とす」といへり。」
意訳
養生の道とは、欲望に負けない精神のことです。欲望を慎む心をもって、コントロールすることです。
身体のことは憶病すぎるぐらい用心するほうがよいと昔の人も言っています。
通解
「養生の道は、自分の欲望にまかせることを戒め、慎みを最優先とする。欲望にまかせることとは、欲に負けて慎重さを欠くことです。一方で、慎みとは、その欲望に対して慎重に注意することを指します。慎みは、恣意的な欲望に対する反対概念です。
慎みとは、畏れをもって心得ることを基本とします。畏れるとは、物事を大切にすることを意味します。俗に言われることわざにも、「用心は臆病にせよ」というように、慎重さが大切であることが示されています。孫真人も「養生は慎みを最優先とする」と述べており、慎みが養生の基本であることを強調しています。」
気づき
ここで言う、「畏れる」とは何を畏れるのでしょうか?
私の場合は、これから年老いて認知症になったり、要介護状態になって不自由な身体で寿命が尽きるまで生活する事を畏れます。
このような状態は、本人ばかりでなく、周囲の心配も大きいはずです。経済的にも、精神的にも負担をかけます。
ですから、たとえ、憶病と言われても、今ある身体を用心し、大事にするという気持ちを持っています。
そして、例え、不幸にして、このような状況に陥ったとしても、これまでの養生については、後に、後悔はないはずです。