養生訓55(巻第一総論上)

「世に富貴(ふうき・財禄(ざいろく)をむさぼりて、人にへつらひ、仏神(ぶつしん)にいのり求むる人多し。
されども、其(その)しるしなし。無病長生(むびょうちょうせい)を求めて、養生をつつしみ、身をたもたんとする人はまれなり。
富貴・財禄は外にあり。求めても天命なければ得がたし。
無病長生は我にあり、もとむれば得やすし。
得がたき事を求めて、得やすき事を求めざるはなんぞや。愚なるかな。たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。」

意訳

世の中には、財産や名誉を求めて、努力する人がいます。
しかし、それを、得るには努力のほかに運も必要です。
ところが、自分の健康管理については、自分が努力すれば何らかの効果は必ずあります。
いくら、財産があっても短命では使えません。

通解

世の中には富貴や財禄を追い求め、他人に取り入り、仏や神に祈りを捧げる人が多く存在します。しかしながら、実現するのは人は少ないです。
一方で、無病で長寿を求めて養生に努め自身を守ろうとする人は稀です。
富貴や財禄は、それを求めても、運も必要です。
一方で、無病で長寿を得るために必要なのは身中にあります。ですから、自身の努力で道は開けます。
手に入りにくいことを求めるよりも、手に入りやすいことを求めるべきではないでしょうか。愚かなことと言えるでしょう。たとえ財貨を手に入れても、多くの病気を抱えて短命に終われば、それは何の役にも立たないこととなります。

気づき

人間の欲には、際限ないとも良く聞く言葉です。何が一番重要か、何が一番必要かの見極めが大切かも知れませんね。