養生訓51(巻第一総論上)
「古語(こご)に曰(いわく)、「莫大(ばくだい)の禍(わざわい)は、須臾(しゅふ)の忍ばざるに起る」。須臾(しゅふ)とは、しばしの間(あいだ)を云(いう)。
大(だい)なる禍(わざわい)は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。
酒食・色慾など、しばしの間、少の慾をこらえずして大病となり、一生の災となる。
一盃の酒、半椀(はんわん)の食をこらえずして、病となる事あり。
慾をほしゐままにする事、少なれども、やぶらるる事は大なり。」
意訳
古くから、「大きな災いは、一瞬の油断から生まれる」と云われています。同じように、少しの欲をこらえ切れないばかりに、一生の災いになることもあります。適量を超えたお酒や食事は、量は少なくても影響は大きいです。
通解
昔の人々は言っています。「大きな災厄は、わずかな間でも忍耐しないことから生じる」と。ここで言う「須臾(しゅふ)」とは、短い間のことを指します。
大きな災厄は、たとえ短い間でも、欲望を我慢しないことから生じます。飲食や色欲などの些細な欲望をわずかな間でも抑えずにいると大きな病気となり一生の苦しみとなる可能性があります。
たとえ一杯の酒や半椀の食事でも我慢せず食すれば病気に繋がります。欲望を自由に満たすことが少なくても、その影響は大きいことがあります。
気づき
昔から、油断には、油断大敵とか、油断禁物とか、ことわざがあります。聞くところによれば、油断の言葉の由来の一つに油が途切れて神仏に捧げる灯火が消えることがないように大切にするという意味もあるそうです。
油断した気持ちはないにしても、あと少し、食べたいとか、飲みたい時に、こらえてやめるのが一番難しい事かも知れませんね。