養生訓42(巻第一総論上)
「夫(それ)養生の術、そくばくの大道(だいどう)にして、小芸(しょうけい)にあらず。
心にかけて、其術をつとめまなばずんば、其道を得べからず。
其術を,しれる人ありて習得(ならいえ)ば、千金(せんきん)にも替(かえ)がたし。
天地父母よりうけたる、いたりておもき身をもちて、これをたもつ道をしらで、みだりに身をもちて大病をうけ、身を失(いし)なひ、世をみじかくする事、いたりて愚(おろか)なるかな。
天地父母に対し大不孝(だいふこう)と云べし。其上(そのうえ)、病なく命ながくしてこそ、人となれる楽(たのしみ)おほかるべけれ。
病多く命みじかくしては、大富貴(だいふき)を、きはめても用なし。
貧賤(ひんせん)にして命ながきにおとれり。わが郷里(きょうり)の年(とし)若き人を見るに、養生の術をしらで、放蕩(ほうとう)にして短命なる人多し。又、わが里の老人を多く見るに、養生の道なくして多病にくるしみ、元気おとろへて、はやく老耄(ろうもう)す。
此如(かくのごと)く、にては、たとひ百年のよはひを、たもつとも、楽なくして苦み多し。長生(ながいき)も益なし。いけるばかりを思ひでにすとも、いひがたし。」
意訳
養生の技術を会得することは、どんな財産にも代えがたいでしょう。
なぜなら、どんなに財産があっても名声があっても死んでしまえば何もなりません。
近くに住んでる若者は放蕩して若死にし、老人は病気で苦しみ悩んでいます。これでは百年生きても苦しいだけでしょう。
これは、ただ生きているというだけです。
通解
養生の術は小さな技術や芸術ではなく重要な大切な技術です。心に留め、その術を努めなければ、その道を得ることはできません。
その術を知り、学び取ることができれば、それは非常に貴重なものであり大変な価値があります。
私たちは天地の恵みによって健康で大切な身体を持っています。その身体を大切にし、命を維持するためには、その養生の道を知らずに自らの無知な行動で大病を引き起こしたり、命を失うような愚かなことをしてはなりません。天地の恩に報いるためにも、健康を保ち、命を長く生かすことが人間としての楽しみであります。
病が多く短命ならば、どれだけ富貴の者であっても幸福とはいえません。
貧しい身分でも長寿で健康の者に劣ります。
私の故郷の若い世代を見ても養生の術を知らないまま放蕩に生き短命の方が多く見受けられます。
同様に故郷の老人たちも養生の道を知らずに病に苦しみ元気を失い早く老衰しています。
このような状況を見ると、たとえ百年の長い寿命を持つとしても苦しみが多いならば長生きしても本当の楽しみが得られないのです。
だからこそ大切なことは、養生の道を学び努めることであり名誉や富貴を得ることだけでなく健康を維持することです。