養生訓44

「身をたもち生(せい)を養ふに、一字の至(いた)れる要訣(ようてい)あり。是を行へば生命を長くたもちて病なし。
おやに孝あり、君(きみ)に忠(ちゅう)あり、家をたもち、身をたもつ。行なふとしてよろしからざる事なし。
其(その)一字なんぞや。畏(おそるる)の字是なり。畏るるとは身を守る心法(しんぽう)なり。
事ごとに心を小にして気にまかせず、過(あやまち)なからん事を求め、つねに天道(てんどう)をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏(おそ)れてつつしみ忍ぶにあり。
是畏るるは、慎しみにおもむく初なり。畏るれば、つつしみ生ず。
畏れざれば、つつしみなし。故に朱子、晩年(ばんねん)に敬(うやまう)の字をときて曰(いわく)、敬(うやまう)は畏の字これに近し。

意訳
健康長寿の秘訣が一字に込められた言葉があります。その言葉とは、畏れです。
畏れとは、慎みの精神の原点です。

慎みとは、何事も過度避け、自分自身をコントロールすることです。
ストレスを出来るだけ少なくし、過度の労働を避け、人間関係においては、自分の価値観と異なる人と縁しないことです。
養生の原点は畏れと慎みです。

通解

「身を守り、生命を維持するためには、一つの重要な要訣があります。これを実践することで、健康を保ち長寿であり、病気を遠ざけることができます。その要訣とは、『畏』(おそれる)という一字です。『畏』とは身を守る心構えの方法を指します。

すべての行動において、心を小さくして気に流されず、過ちのあることを求めず、常に天の道を畏れ、慎み深く行動し、他人の欲望を恐れて慎み忍ぶことにあります。『畏』を持つことは、慎み深く行動する初歩となり、畏れることで、身を守る心構えが生まれます。逆に、畏れなければ慎み深い心構えは生じないのです。

だからこそ、朱子(中国の思想家)は晩年に『敬』(うやまう)の字を用いて言ったと伝えられています。『敬』とは『畏』の字に近い意味を持つ言葉です。」

「心法(しんぽう)」とは

「心法(しんぽう)」は、主に仏教の文脈で使われる用語で、心や精神に関連する法則や方法、修行法などを指す言葉です。仏教の教えでは、心の訓練や精神的な成長が重要視され、そのためにさまざまな心法が提唱されています。心法は、個人の精神的な成長や覚醒に役立つことを目的としています。

以下は、心法に関連するいくつかのポイントです:

瞑想(めいそう): 瞑想は、心法の一つとして広く知られており、心を静め、内面の平和と洞察を求めるために行われます。仏教の瞑想法は多種多様であり、坐禅、念仏、観想瞑想などがあります。

認識(しき)と変容(へんけん): 心法は、自己認識や心の変容を促すために使用されることがあります。自己認識を通じて、苦しみや執着から解放され、覚醒(悟り)に近づくことを目指します。

戒律(かいりつ)と道徳: 仏教における戒律や道徳的な規範も心法の一部です。これらの法則や規範は、個人の心を浄化し、他者への善意と利益を促進することを意味します。

学習と実践: 心法は学習と実践を組み合わせて行われます。仏教の教義や教えを学び、それを実際の生活に取り入れ、日常の行動に反映させることが求められます。

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