養生訓21(巻第一総論上)

巻第一総論上

「風寒暑湿は外邪なり。是にあたりて病となり、死ぬるは、天命也。
聖賢(せいけん)といへど免(まぬが)れがたし。
されども、内気(ないき)充実して、よくつつしみ防がば、外邪のおかす事も亦(また)まれなるべし。
飲食色慾によりて病(やまい)生ずるは、全く、わが身より出る過(あやまち)也。
是、天命にあらず、わが身のとがなり。
万(よろず)の事、天より出るは、ちからに及ばず。
わが身に出る事は、ちからを用てなしやすし。
風寒暑湿の外邪をふせがざるは怠(おこたり)なり。
飲食好色の内慾を忍ばざるは、過(あやまち)なり。
怠(おこたり)と過(あやまち)とは、皆、慎(つつ)しまざるよりおこる」

意訳

台風や洪水など天災などで命を落とす場合があります。これを天命といいます。
このことは、どんな人にも起こりえます。
しかし、それさえ、注意して事前の対策をすれば、免れることもあります。
ましてや、自分の自己管理の甘さから起きる病気は天命とは呼ばないのです。
自分の過失なのです。
天災の対策が万全でないのは怠りといえます。自己の不摂生は過ちでです。
怠りも誤りも慎みがないために起こります。

通解

「風寒暑湿は外から来る邪気です。これに当たって病気になり、死亡することは天命です。聖賢であっても免れがたいものです。しかしながら、内なる気を充実させて、適切に節制し防げば、外からの邪気による病気は稀なものとなります。

飲食や好色などによって病気が生じるのは、まさに自分自身の過ちによるものです。これは天命によるものではなく、自らの行動が原因となります。万事は天から起こるものであり、自らの力では変えることができませんが、自分の行いによることは自らの力を使って行動することで制御しやすいものです。

風寒暑湿といった外からの邪気を防ぐことを怠るのは不注意です。また、飲食や好色などの内なる欲望を抑えないことも過ちです。怠慢と過失は、すべて慎むことを怠った結果生じるものです。」

「聖賢(せいけん)」とは

「聖賢(せいけん)」は、古代中国の哲学や思想における概念で、特に儒教において重要な役割を果たしています。この言葉は、高い道徳的価値や知識を持ち、倫理的に優れた人物や指導者を指す言葉として使用されます。聖賢は、道徳的な模範とされ、人々に尊敬され、教えと指導を提供します。

以下は、「聖賢」に関連する主要なポイントです:

高い道徳的価値: 聖賢は、高い道徳的価値を持つとされ、仁(じん)、義(ぎ)、礼(れい)、智(ち)などの儒教の美徳を実践し、他人に対する思いやりや誠実さを体現します。

知識と教育: 聖賢は知識や教育にも優れており、学識が豊富で、知恵や知識を共有し、教育に尽力します。

社会的指導者: 聖賢はしばしば政治的な指導者や教育者としても活動し、国家や社会の発展に貢献します。彼らの道徳的なリーダーシップは社会的な秩序と調和を促進します。

歴史的な聖賢: 中国の歴史には、儒教における聖賢とされる人々が多く登場しました。代表的な聖賢には、孔子、孟子、荀子などがいます。

宗教的要素: 聖賢の概念は儒教に由来していますが、道教や仏教などの中国の宗教や哲学でも、聖賢や賢者に関連する概念が存在します。

「聖賢」の概念は、中国の思想や文化において、個人と社会の道徳的な向上を追求し、道徳的な指針や教訓を提供するための重要な要素として位置づけられています。また、儒教や他の哲学的な伝統において、聖賢を理想的な人物として模倣し、個人の道徳的な成長と社会の発展に貢献することが奨励されています。