養生訓42

「人の耳目口體(じもくこうたい)の見る事、きく事、飲み食ふ事、好色をこのむ事、各(おのおの)其(その)このめる慾あり。
これを嗜慾(しよく)と云。嗜慾とは、このめる慾なり。
慾は、むさぼる也。飲食色慾(いんしょくしきよく)などをこらえずして、むさぼりてほしゐままにすれば、節(せつ)に過(すぎ)て、身をそこなひ礼儀にそむく。
万(よろず)の悪は、皆、慾を恣(ほしいまま)にするよりおこる。
耳目口體(じもくこうたい)の慾を忍んでほしゐまゝに、せざるは、慾にかつの道なり。
もろもろの善は、皆、慾をこらえて、ほしゐまゝにせざるよりおこる。故に、忍ぶと、恣(ほしいまま)にするとは、善と悪との、おこる本なり。
養生の人は、ここにおゐて、専心(せんしん)を用ひて、恣(ほしいまま)なる事をおさえて慾をこらゆるを要(よう)とすべし。恣の一字をさりて、忍(にん)の一字を守るべし。」

意訳

この世には、楽しいことがたくさんあります。
しかし、何事も、度が過ぎれば健康を害する元にもなります。
健康を害せば、せっかくの楽しみも長く続かなくなります。
それは、正しい選択とは、いえません。
仕事も娯楽も、ある程度の抑制があってこそ楽しいものです。
過度のストレスを避ける。そして、遊び過ぎないことです。
そうすれば、楽しいことを長く体験する事ができます。

通解

「人は耳、目、口、身体によって見ること、聞くこと、飲食すること、好色なことなど、それぞれがその欲望を持っています。これらの欲望を嗜慾(しよく)といいます。嗜慾とは、欲望を追い求めることです。

欲望は飽くことを知らず、飲食や好色などを制御せずに追求すると、節度を乱し、身を傷つけ、礼儀を乱すことになります。悪事の多くは、全て欲望に従って行動することから生じます。

耳、目、口、身体の欲望を抑えて節度を持ち、追求しないことこそが欲望の真の道です。さまざまな善行は、全て欲望を抑えて追求しないことから生まれます。したがって、我々は自己養生を重んじるならば、心を集中させ、欲望を制御し、節度を持つことが重要です。欲望の一字を退け、忍耐の一字を守るべきです。」

「耳目口體(じもくこうたい)」とは、

「耳目口體(じもくこうたい)」は、中国の古典文学や哲学における概念で、人間の感覚器官や身体の器官を指す言葉です。この概念は、人間の知覚や感覚に関連しており、古代中国の文学や哲学、思想において頻繁に登場します。

「耳目口體」は、以下のように具体的な意味を持ちます:

耳(じ): 耳は聴覚を担当する器官で、音を感知し、情報を聞くことができます。聴覚を通じて外部の音や言葉を受け取り、理解します。

目(もく): 目は視覚を担当する器官で、光を感知し、物事を見ることができます。視覚は外部の事物や景色を捉え、理解します。

口(こう): 口は言語を表現するための器官で、言葉や音声を発することができます。口を通じて意見や情報を伝えます。

體(たい): 體は身体全体を指し、触覚や感覚、身体的な経験を通じて外部の世界と接触します。感覚的な知覚を含む広い概念です。

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