養生訓20(巻第一総論上)

「人の耳目口體(じもくこうたい)の見る事、きく事、飲み食ふ事、好色をこのむ事、各(おのおの)其(その)このめる慾あり。
これを嗜慾(しよく)と云。嗜慾とは、このめる慾なり。
慾は、むさぼる也。飲食色慾(いんしょくしきよく)などをこらえずして、むさぼりてほしゐままにすれば、節(せつ)に過(すぎ)て、身をそこなひ礼儀にそむく。
万(よろず)の悪は、皆、慾を恣(ほしいまま)にするよりおこる。
耳目口體(じもくこうたい)の慾を忍んでほしゐまゝに、せざるは、慾にかつの道なり。
もろもろの善は、皆、慾をこらえて、ほしゐまゝにせざるよりおこる。故に、忍ぶと、恣(ほしいまま)にするとは、善と悪との、おこる本なり。
養生の人は、ここにおゐて、専心(せんしん)を用ひて、恣(ほしいまま)なる事をおさえて慾をこらゆるを要(よう)とすべし。恣の一字をさりて、忍(にん)の一字を守るべし。」

意訳

この世には、楽しいことがたくさんあります。
しかし、何事も、度が過ぎれば健康を害する元にもなります。
健康を害せば、せっかくの楽しみも長く続かなくなります。
それは、正しい選択とは、いえません。
仕事も娯楽も、ある程度の抑制があってこそ楽しいものです。
過度のストレスを避ける。そして、遊び過ぎないことです。
そうすれば、楽しいことを長く体験する事ができます。

通解

「人は耳、目、口、身体によって見ること、聞くこと、飲食すること、好色なことなど、それぞれがその欲望を持っています。これらの欲望を嗜慾(しよく)といいます。嗜慾とは、欲望を追い求めることです。
欲望は飽くことを知らず飲食や好色などを制御せずに追求すると節度を乱し身を傷つけ礼儀を乱すことになります。
悪事の多くは、全て欲望に従って行動することから生じます。耳、目、口、身体の欲望を抑えて節度を持ち追求しないことこそが欲望の真の道です。さまざまな善行は、全て欲望を抑えて追求しないことから生まれます。
したがって、我々は自己養生を重んじるならば心を集中させ欲望を制御し節度を持つことが重要です。
欲望の一字を退け忍耐の一字を守るべきです。」

「耳目口體(じもくこうたい)」とは、

「耳目口體(じもくこうたい)」は、中国の古典文学や哲学における概念で、人間の感覚器官や身体の器官を指す言葉です。この概念は、人間の知覚や感覚に関連しており、古代中国の文学や哲学、思想において頻繁に登場します。

「耳目口體」は、以下のように具体的な意味を持ちます:

耳(じ): 耳は聴覚を担当する器官で、音を感知し、情報を聞くことができます。聴覚を通じて外部の音や言葉を受け取り、理解します。

目(もく): 目は視覚を担当する器官で、光を感知し、物事を見ることができます。視覚は外部の事物や景色を捉え、理解します。

口(こう): 口は言語を表現するための器官で、言葉や音声を発することができます。口を通じて意見や情報を伝えます。

體(たい): 體は身体全体を指し、触覚や感覚、身体的な経験を通じて外部の世界と接触します。感覚的な知覚を含む広い概念です。