養生訓358(巻第七 用薬)
生姜(しょうが)を片(へん)とするは、生姜根(しょうがこん)には肢(また)多し。其内(そのうち)一肢(いちまた)をたてに長(なが)くわるに、大小(だいしょう)にしたがひて、三片(さんぺん)或(あるいは)四片(よんぺん)とすべし。たてにわるべし。或(あるいは)問(とう)、生姜(しょうが)、医書に、其(その)おもさ幾分(いくぶん)と云ずして、幾片(いくへん)と云(いう)は何ぞや。答曰(こたえていわく)、新(あらた)にほり出せるは、生(なま)にしておもく、ほり出して日をいたるは、かはきてかろければ、其(その)重さ幾分(いくぶん)と定(さだめ)がたし。故に幾分(いくぶん)と云ずして幾片(いくへん)と云(いう)。棗(なつめ)は、樹頭(じゅとう)に在(あり)てよく熟(じゅく)し、色の青きが白くなり、少(すこし)紅(くれない)まじる時とるべし。青きはいまだ熟(じゅく)せず、皆、紅(くれない)なるは熟(じゅく)し過(すぎ)て、肉(にく)たゞれてあしゝ。色(いろ)少(すこ)し、あかくなり、熟(じゅく)し過(すぎ)ざる時とり、日(ひ)に久(ひさ)しくほし、よくかはきたる時、むしてほすべし。生(なま)にてむすべからず。なまびもあしゝ。薬舗(くすりや)及(および)市廛(してん)にうるは、未熟(みじゅく)なるをほしてうる故に性(せい)あしゝ。用(もち)ゆべからず。或(あるいは)樹上(じゅじょう)にて熟し過(すぎ)るもたゞれてあしゝ。用(もち)ゆべからず。棗樹(なつめのき)は、わが宅(たく)に必(かならず)植(うえる)べし。熟(じゅく)してよき比(ころ)の時とるべし。
養生訓(意訳)
生姜は乾燥すれば、生の時より軽くなります。ですから、重さの代わりに何片という言い方で表します。棗は熟しすぎる前が良いでしょう。
通解
生姜の一片は生姜の根にはさまざまな大きさがあります。その中で、一片を横に切って長く使う場合は、大小に切り分けて三片または四片を使用することが適切です。医書にはどれくらいの重さか、また何片という表現があるかという問いに対して、新しく掘り出した場合は生のままで重いですが、掘り出して日が経つと乾燥して軽くなるため、その重さを具体的に定めるのは難しいです。そのため、重さを示す代わりに何片という表現を用いるのです。
棗(なつめ)は、木の上でよく熟し、青い色から白く変わり、少し赤みが混ざった時に収穫するべきです。青い時はまだ完全に熟しておらず、完全に赤くなった時は熟し過ぎて果肉が崩れてしまいます。色が少し赤くなり、まだ完全に熟していない時に収穫し、日にちを経てよく乾燥させた後、適切な保存方法で保管しましょう。生のままでは保存できませんし、生のままでも崩れてしまいます。
棗を薬局や市場で販売する場合、未熟な状態で販売されることがありますが、それは保存性が悪くなってしまうため、使用しない方が良いです。また、木の上で過熟になった棗も崩れてしまいますので、使用しない方が良いです。
棗の木は、自宅に必ず植えるべきです。熟して適切な時期に収穫しましょう。