養生訓339(巻第七 用薬)
然(しか)るに日本の薬、此如(このごとく)小服(しょうふく)なるは何ぞや。曰(いわく)、日本の医の薬剤小服(やくざいしょうふく)なる故三あり。一には中華の人は、日本人より生質健(せいしつけん)に腸胃(ちょうい)つよき故、飲食多く、肉を多く食ふ。日本人は生(うまれ)つき薄弱(はくじゃく)にして、腸胃よわく食(しょく)すくなく、牛鳥、犬羊(けんよう)の肉を食ふに宜(よろ)しからず。かろき物をくらふに宜(よ)し。此故(このゆえ)に、薬剤も昔より、小服(しょうふく)に調合すと云(いう)。
是(これ)一説なり。されども中夏の人、日本の人、同じく是、人なり。大小強弱、少(すこし)かはる共(とも)、日本人、さほど大(だい)におとる事、今の医の用(もち)る薬剤の大小の如(ごと)く、三分の一、五分の一には、いたるべからず。然(しか)れば日本の薬、小服なる事、此如(かくのごとく)なるべからずと云(いう)人あり。一説に或人(あるひと)の曰(いわく)、日本は薬種(やくしゅ)ともし。わが国になき物多し。はるかなる、もろこし、諸蕃国(しょばんこく)の異舶(いはく)に、載(の)せ来るを買(かい)て、価(あたい)貴(とう)とし。大服(だいふく)なれば費(ついえ)多(おお)し。こゝを以(もって)薬剤を大服(たいふく)に合(あ)せがたし。ことに貧医(ひんい)は、薬種をおしみて多く用(もち)ひず。然(しか)る故、小服(しょうふく)にせしを、古来(こらい)習(なら)ひ来(きた)りて、富貴(ふうき)の人の薬といへども小服(しょうふく)にすと云(いう)。是一説(これいっせつ)也。又曰(またいわく)、日本の医は、中華の医に及ばず。故に薬方(やくほう)を用(もちい)る事、多くは、その病に適当(てきとう) せざらん事を畏(おそる)る。此故(このゆえ)に、決定(けつじょう)して一方を大服(だいふく)にして用ひがたし。若(もし)大服にして、其病(そのやまい)に応(おう)ざぜれば、かへつて甚(はなはだ)害をなさん事おそるべければ、小服(しょうふく)を用(もち)ゆ。薬その病に応ぜざれども、小服なれば大なる害なし。若(もし)応ずれば、小服にても、日をかさねて小益(しょうえき)は有(あり)ぬべし。こゝを以(もって)古来、小服(しょうふく)を用ゆと云(う)。是(これ)又一説(またいっせつ)也。此三説(このさんせつ)によりて日本の薬、古来(こらい)小服(しょうふく)なりと云(いう)。
養生訓(意訳)
日本は、外国に比べ、昔から薬を飲む分量が少ないです。その理由は三つあります。
通解
日本の薬における小服とは、以下の3つの説明があります。
中華の人々は、日本人よりも消化器官が強く、飲食が多く、肉を多く摂取します。一方、日本人は生まれつき体が弱く、消化器官も弱いため、牛や鳥、犬や羊の肉を摂ることは適していません。軽いものを食べるべきです。そのため、昔から薬剤も小服に調合されるようになりました。
ただし、中夏の人々と日本人は同じ人間です。体格や体力には多少の差がありますが、現代の医学では、日本人が大幅に異なる服用量を必要とすることはありません。薬剤の服用量は1/3や1/5まで減らすべきではありません。
また、ある説では、日本は薬草などの薬材が豊富ではなく、他の国から輸入するために高価です。大量に服用すると経済的な負担が大きくなります。そのため、薬剤を小服することが推奨されています。この考え方は、古くから富裕な人々の薬に関しても小服が一般的であったと言われています。
さらに、中華の医学に比べて日本の医学は劣っているとする見解もあります。そのため、病気に対して薬方を多用せず、適切な量を使用することを重視します。病気に応じて適切な服用量を選ぶことが重要です。病気に応じない場合でも、小服であれば大きな害はありません。応じる場合でも、小服でも日を重ねれば少しずつ効果が現れるでしょう。
これらの3つの説により、日本の薬は古くから小服が一般的であると言われています。