養生訓335(巻第七 用薬)
丘処機(きゅうしょき)が、「衛生(えいせい)の道ありて長生(ちょうせい)の薬なし、」といへるは、養生の道はあれど、むまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。養生は、只(ただ)むまれ付(き)たる天年(てんねん)をたもつ道なり。
古(いにしえ)の人も術者に、たぶらかされて、長生の薬とて用ひし人、多かりしかど、其(その)しるしなく、かへつて薬毒(やくどく)に、そこなはれし人あり。是(これ)長生の薬なき也。久しく苦労して、長生の薬とて用ゆれども益なし。信ずべからず。
内慾(ないよく)を節(せつ)にし、外邪をふせぎ、起居(きしょ)をつゝしみ、動静(どうせい)を時にせば、生れ付(き)たる天年をたもつべし。是(これ)養生の道あるなり。丘処機(きゅうしょき)が説は、千古(せんこ)の迷(まよい)をやぶれり。此説(このせつ)信ずべし。凡(およそ)うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは迷(まよい)をとく道なり。
養生訓(意訳)
養生の道とは、天命を保つための知恵です。古来、不老長寿の薬などありません。
通解
丘処機は、「衛生の道ありて長生の薬なし」と言っていますが、それは養生の方法はあるものの、生命を長く保つための薬は存在しないということです。養生は、ただ既に与えられた寿命を保つための方法です。
昔の人々も術者にだまされて、長生の薬を使った人は多かったかもしれませんが、その証拠もなく、むしろ薬の毒によって害を受けた人もいました。それは長生の薬ではありません。長生の薬を長い間苦労して使っても、効果はありません。信じるべきではありません。
内なる欲望を抑え、外からの邪気を避け、生活のリズムを整え、適度な運動をすることによって、与えられた寿命を保つべきです。これが養生の方法です。丘処機の説は、古代からの迷いを打ち破ったものです。この説を信じるべきです。疑うべきことに疑い、信じるべきことを信じることは、迷いを解消する道です。