養生訓351

人身(じんしん)、病なき事あたはず。病あれば、医をまねきて治(ち)を求(もと)む。医に上中下(じょうちゅうげ)の三品あり。上医(じょうい)は病を知り、脈を知り、薬を知る。此(これ)三知(さんち)を以(て)病を治して十全(じゅうぜん)の功(こう)あり。まことに世の宝にして、其功(このこう)、良相(りょうしょう)につげる事、古人(こじん)の言(げん)のごとし。下医(げい)は、三知(さんち)の力なし。妄(みだり)に薬を投じて、人をあやまる事(こと)多し。夫(れ)薬は、補瀉寒熱(ほしゃかんねつ)の良毒(りょうどく)の気偏(きへん)なり。その気(き)の偏(へん)を用(もちい)て病をせむる故に、参芪(じんぎ)の上薬をも妄(みだり)に用ゆべからず。其病に応ずれば良薬とす。必ず、 しるしあり。其病に応ざぜれば毒薬とす。たゞ益なきのみならず、また人に害あり。又、中医(ちゅうい)あり。病と脈(みゃく)と薬をしる事、上医に及ばずといへ共(ども)、薬は皆(みな)気の偏にして、妄(みだり)に用ゆべからざる事をしる。故に其病に応ぜざる薬を与(あた)へず。前漢書に班固(はんこ)が曰(いわく)、「病(やまい) 有て治せずば常に中医を得(え) よ」。云意(いうこころ)は、病あれども、もし其病を明らかにわきまへず、その脈を許(つまびらか)に察せず、其(その)薬方を精(くわ)しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施(ほどこ)さず。こゝを以(もって)病あれども治せざるは、中品(ちゅうひん)の医なり。下医(げい)の妄(みだり)に薬を用(もちい)て人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して身をそこなふべからず。只(ただ)保養をよく慎(つつし)み、薬を用(もち)ひずして、病のをのづから癒(いゆ)るを待(まつ)べし。

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