養生訓312(第六巻 択医)
歌(うた)をよむに、ひろく歌書(かしょ)をよんで、歌学(かがく)ありても、歌の下手(へた)はあるもの也。歌学(かがく)なくして上手(じょうず)は有(ある)まじきなりと、心敬法師(しんけいほうし)いへり。医術(いじゅつ)も亦(また)かくの如し。医書(いしょ)を多くよんでも、つたなき医はあり。それは医道(いどう)に心を用(もちい)ずして、くはし,ならざればなり。医書をよまずして、上手(じょうず)は,あるまじき也。から・やまとに、博学多識(はくがくたしき)にして、道しらぬ儒士(じゅし)は多し。博(ふろ)く学ばずして、道しれる人はなきが如し。
養生訓(意訳)
勉強している医者でも、下手な医者はいます。ただ、その医者は成長します。学ばざるして成長なしです。そして、もっと上手になる為には知識だけではなく、情熱や熱意が重要であり、学問や技術を修めるためにはそれに真摯に取り組む姿勢が不可欠です。
通解
歌を読むためには、広く歌の書物を読み、歌学を学んでも、歌が下手な人は存在します。歌学がないと上手になることはできないと、心敬法師は言っています。同様に、医術もそのようなものです。医書を多く読んでも、未熟な医師が存在します。それは医道に心を捧げずに知識を得ようとするからです。医書を読まずして上手になることはあり得ません。また、歌を詠むことに例えていますが、博学多識であっても道を知らない儒士が多く存在します。広く学ぶことなく道を知る人はほとんどいません。