養生訓308(第六巻 択医)

医となる人、もし庸医(ようい)のしわざをまなび、、愚俗(ぐぞく)の言(げん)を信じ、医学をせずして、俗師(ぞくし)にしたがひ、もろこしの医書(いしょ)をよまず、病源(びょうげん)と脈(みゃく)とをしらず、本草に通ぜず、薬性(やくせい)をしらず、医術にくらくして、只(ただ)近世の日本の医の作れる国字(こくじ)の医書を、二三巻(にさんかん)考(かんが)へ、薬方(やくほう)の功能(こうのう)を少し覚え、よききぬきて、我が身のかたちふるまひをかざり、辯説(べんぜつ)を巧(たくみ)にし、人のもてなしをつくろひ、富貴(ふうき)の家に、へつらひしたしみ、時の幸(さいわい)を求めて、福医(ふくい)のしわざを、うらやみならはゞ、身をおはるまで草医(そうい)なるべし。かゝる草医(そうい)は、医学すれば、かへつて療治(りょうち)に拙(つたなく)し、と云まはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道(てんどう)の子としてあはれみ給ふ萬民(ばんみん)の、至(いた)りておもき生命をうけとり、世間(せけん)きはまりなき病を治せんとして、この如くなる卑狭(ひきょう)なる術を行(おこな)ふはいいがひなし。