養生訓332

俗医(ぞくい)は、医学(いがく)をきらひてせず。近代名医(きんだいめいい)の作れる和字(わじ)の医書(いしょ)を見て、薬方(やくほう)を四五十(しごじゅう)つかひ覚ゆれば、医道(いどう)をば、しらざれども、病人に馴(なれ)て、尋常の病を治する事、医書をよんで病になれざる者にまされり。たとへば、稊稗(ていはい)の熟したるは、五穀(ごこく)の熟(じゅく)せざるにまされるが如し。
されど、医学なき草医(そうい)は、やゝもすれば、虚実寒熱(きょじつかんねつ)を取(とり)ちがへ、実々虚々(じつじつきょきょ)のあやまり、目に見えぬ、わざはひ多し。寒(かん)に似たる熱症(ねっしょう)あり。熱(ねつ)に似たる寒症(かんしょう)あり。虚(きょ)に似たる実症(じっしょう)あり。実に似たる虚症(きょしょう)あり。内傷(ないしょう)、外感(がいかん)、甚(はなはだ)相似(あいに)たり。此如(このごとき)、まぎらはしき病(やまい)多し。根(ね)ふかく、見知(みし)りがたき、むづかしき病、又、つねならざる、めづらしき病(やまい)あり。かやうの病(やまい)を治(ち)することは、ことさらなりがたし。

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