養生訓306(第六巻 択医)
医師にあらざれども、薬をしれば、身をやしなひ、人をすくふに益あり。されども、医療に妙(みょう)を得(えた)る事は、医生(いせい)にあらざれば、道(みち)に専一(せんいつ)ならずして成(なり)がたし。みづから医薬(いやく)を用(もち)ひんより、良医をゑ(え)らんでゆだぬべし。医生(いせい)にあらず、術(じゅつ)あらくして、みだりにみづから薬を用(もち)ゆべからず。只(ただ)、略(ほぼ)医術(いじゅつ)に通じて、医の良拙(りょうせつ)をわきまへ、本草(ほんそう)をかんがへ、薬性(やくせい)と食物の良毒(りょうどく)をしり、方書(ほうしょ)をよんで、日用急切(につようきゅうせつ)の薬を調和し、医(い)の来らざる時、急病(きゅうびょう)を治(ち)し、医のなき里(さと)に居(おり)、或(あるいは)旅行して小疾(しょうしつ)をいやすは、身をやしなひ、人をすくふの益あれば、いとまある人は、すこし心を用ゆべし。医術をしらずしては、医の良賤(りょうせん)をもわきまへず、只(ただ)、世に用(もち)ひらるゝを良工(もちりょうこう)とし、用ひられざるを賤工(せんこう)とする故に、医説(いせつ)に、明医(めいい)は時医(じい)にしかず、といへり。医の良賤(りょうせん)をしらずして、庸医(ようい)に、父母(ふぼ)の命をゆだね、わが身をまかせて、医(い)にあやまられて、死(し)したるためし世に多し。おそるべし。
養生訓(意訳)
医者で無くても、必要最低限の医学の知識は必要でしょう。自分の予防にも、医者を選ぶ時にも役に立ちます。風評だけで医者を選んで後悔しないように心がけるべきです。
通解
医師でなくても、薬を知れば自身の健康に役立ち、他人を救うことにも利益があります。しかし、医療において優れた成果を得るには、医師でなければ道に専念することは難しくなります。自分自身で医薬を使用するよりも、優れた医師を選んで相談すべきです。医師でなくとも、術を持たずに自己判断で薬を使用することは避けなければなりません。ただし、基本的な医術に通じて医師の優劣を見極め、本草学を学び、薬の性質や食物の毒性を知り、方書を読んで日常の緊急時の薬を調合することは、医師のいない場所で急病を治療したり、旅行中の小さな病気を治療するために役立ちます。ただし、医術を知らない場合、医師の優劣を見極めることもできません。ですから、医術を知らない庸医に父母の命を預けたり、自分自身を委ねて医師の誤りで死亡する例が多く存在します。注意が必要です。