養生訓303(第六巻 択医)
古人(こじん)、医(い)也(なる)者(もの)は意(こころ)也(なり)、といへり。云意(うんい)は、意(こころ)精(くわ)しければ、医道をしりて、よく病(やまい)を治す。医書(いしょ)多くよんでも、医道に志(こころざし)なく、意(こころ)粗く(あらく)工夫(くふう)くはし、からざれば、医道をしらず。病(やまい)を治(なお)するに拙(せつ)ごときは、医学(いがく)せざるに同じ。医の良拙(りょうせつ)は、医術の精(くわ)しきと、あらきとに、よれり。されども、医書をひろく見ざれば、医道(いどう)を、くはしくしるべきやうなし。
養生訓(意訳)
「医者を選ぶときは、よく勉強している人を選びましょう」と昔の人は言っています。
通解
古代の人々は、医者とは意志のことであり、つまり心を持っていることだと言っています。その意志が精妙であれば、医道を知り、上手に病を治すことができます。医書を多く読んでも、医道に志を持たず、意志が粗雑で工夫がなければ、医道を知らないことになります。拙い方法で病を治そうとするのは、医学を知らないのと同じです。医者の優劣は、医術の精妙さ、未熟さによって決まります。しかし、医書を広く見なければ、医道を深く理解したというわけではありません。