養生訓322

神怪(しんかい)、奇異(きい)なる事、たとひ目前(もくぜん)に見るとも、必(かならず)鬼神(きじん)の所為(しょい)とは云がたし。人に心病(しんびょう)あり。眼病(がんびょう)あり。此病(このやまい)あれば、実になき物、目に見ゆる事(こと)多し。信(しん)じてまよふべからず。保養(ほよう)の道は、みづから病を慎しむのみならず、又、医(い)をよくゑ(え)らぶべし。天下にもかへがたき父母の身、わが身を以(もって)庸医(ようい)の手にゆだぬるはあやうし。医の良拙(りょうせつ)をしらずして、父母子孫(ふぼしそん)病(やまい)する時に、庸医(ようい)にゆだぬるは、不孝不慈(ふこうふじ)に比(ひ)す。おやにつかふる者も、亦(なお)医(い)をしらずんばあるべからず、といへる程子(ていし)の言、むべなり。医をゑ(え)らぶには、わが身医療に達せずとも、医術の大意(たいい)をしれらば、医(い)の好否(よしあし)をしるべし。たとへば書画(しょが)を能(よく)せざる人も、筆法(ひつほう)をならひしれば、書画(しょが)の巧拙(こうせつ)をしるが如し。

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