養生訓278 (第六巻 慎病)
慎病-病は生死のかかる所、人身の大事也。聖人(せいじん)の慎(つつしみ)給う事、むべなるかな。
古語(こご)に、常作病想「常(つね)に病想(びょうそう)を作(な)す」。
云意(いうこころ)は、無病の時、病(やまい)ある日のくるしみを、常に思ひやりて、風寒暑湿(ふうかんしょしつ)の外邪(がいじゃ)をふせぎ、酒食(しゅしょく)・好色(こうしょく)の内欲を節(せつ)にし、身体の起臥動静(きがどうせい)をつつしめば病(やまい)なし。又、古詩(こし)に曰(いわく)、「安楽(あんらく)の時、常に病苦(びょうく)の時を思へ」。云意(いうこころ)は、病なくて安楽なる時に、初(はじめ)病に苦しめる時を、常に思ひ出して、わするべからずと也。無病の時、慎(つつしみ)ありて、恣(ほしいまま)ならざれば、病(やまい)生ぜず。是病(このやまい)おこりて、良薬を服し、鍼(はり)・灸(きゅう)をするにまされり。邵康節(しょうこうせつ)の詩(し)に、其(この)病(んで)後、能(よ)く薬を服せむより、病(やむ)前、能(く)自(みずから)防(ふせ)ぐにしかず。といへるがごとし。
養生訓(意訳)
健康な時にこそ、病気になった時の苦しみや悲しみを思い、日常の生活習慣を正していくことが大切です。このことは、病気になった時に、どんなに高価な薬を飲むよりも優ります。
通解
病気は生死にかかわる重要な問題であり、自身の健康を守ることは非常に重要です。叡知ある聖人たちが慎重に行動することを示唆しています。古代の教訓には、「常に病気のことを考えるべきだ」という言葉があります。これは、健康な状態でいるときにも、将来病気にかかる可能性を考え、外部からの病因を避け、飲食や生活習慣に注意し、身体の状態や行動に慎重であるべきだという意味です。こうした慎重さがあれば、病気を防ぐことができます。
また、別の詩には、「安楽なときには、いつも病気や苦痛のことを思い出すべきだ」という言葉があります。これは、健康で安楽な時に、将来の病気や苦痛を思い出し、無駄に健康を害さないように行動すべきだという教訓です。無病のときに慎重に行動し、放縦にならなければ、病気を予防できます。病気になってから治療するよりも、病気の前に自己防御を強化することが大切です。