養生訓301
病は生死のかかる所、人身の大事也。聖人(せいじん)の慎(つつしみ)給う事、むべなるかな。古語(こご)に、「常(つね)に病想(びょうそう)を作(な)す」。云意(いうこころ)は、無病の時、病(やまい)ある日のくるしみを、常に思ひやりて、風寒暑湿(ふうかんしょしつ)の外邪(がいじゃ)をふせぎ、酒食(しゅしょく)・好色(こうしょく)の内欲を節(せつ)にし、身体の起臥動静(きがどうせい)をつつしめば病(やまい)なし。又、古詩(こし)に曰(いわく)、「安楽(あんらく)の時、常に病苦(びょうく)の時を思へ」。云意(いうこころ)は、病なくて安楽なる時に、初(はじめ)病に苦しめる時を、常に思ひ出して、わするべからずと也。無病の時、慎(つつしみ)ありて、恣(ほしいまま)ならざれば、病(やまい)生ぜず。是病(このやまい)おこりて、良薬を服し、鍼(はり)・灸(きゅう)をするにまされり。邵康節(しょうこうせつ)の詩(し)に、其(この)病(んで)後、能(よ)く薬を服せむより、病(やむ)前、能(く)自(みずから)防(ふせ)ぐにしかず。といへるがごとし。
養生訓(意訳)
健康な時にこそ、病気になった時の苦しみや悲しみを思い、日常の生活習慣を正していくことが大切です。このことは、病気になった時に、どんなに高価な薬を飲むよりも優ります。
通解
病気は生死にかかわる重要な問題であり、自身の健康を守ることは非常に重要です。叡知ある聖人たちが慎重に行動することを示唆しています。古代の教訓には、「常に病気のことを考えるべきだ」という言葉があります。これは、健康な状態でいるときにも、将来病気にかかる可能性を考え、外部からの病因を避け、飲食や生活習慣に注意し、身体の状態や行動に慎重であるべきだという意味です。こうした慎重さがあれば、病気を防ぐことができます。
また、別の詩には、「安楽なときには、いつも病気や苦痛のことを思い出すべきだ」という言葉があります。これは、健康で安楽な時に、将来の病気や苦痛を思い出し、無駄に健康を害さないように行動すべきだという教訓です。無病のときに慎重に行動し、放縦にならなければ、病気を予防できます。病気になってから治療するよりも、病気の前に自己防御を強化することが大切です。
気づき
病は生死のかかる所、人身の大事也。
病気は生命にかかわる重要な問題であり、人の身体にとって非常に重要なものです。
聖人(せいじん)の慎(つつしみ)給う事、むべなるかな。
賢人や聖人は、慎重に生活し、自己の健康に注意を払うことが重要です。
古語(こご)に、「常(つね)に病想(びょうそう)を作(な)す」。
古いことわざに、「常に病のことを思い起こす」とあります。
云意(いうこころ)は、無病の時、病(やまい)ある日の苦しみを、常に思いやりて、風寒暑湿(ふうかんしょしつ)の外邪(がいじゃ)を防ぎ、酒食(しゅしょく)・好色(こうしょく)の欲望を制し、身体の起床・就寝や動静を注意することで病気を予防することができる、という意味です。
又、古詩(こし)に曰(いわ)く、「安楽(あんらく)の時、常に病苦(びょうく)の時を思え」。
また、古い詩に「安らかな時には常に病苦の時を思い出せ」とあります。
云意(いうこころ)は、病気がなく安らかな時には、初めて病気に苦しむ時を常に思い出し、その状態を損なわないようにするべきである、ということです。
無病の時、慎(つつしみ)ありて、恣(ほしいまま)ならざれば、病(やまい)生ぜず。
病気がない時には慎重さを持ち、放埒(ほうらつ)にならなければ病気にかかることはありません。
是病(このやまい)おこりて、良薬を服し、鍼(はり)・灸(きゅう)をするにまされり。
もし病気にかかってしまった場合は、適切な薬を服用し、鍼や灸などの治療を行うことが効果的です。
邵康節(しょうこうせつ)の詩(し)に、其(この)病(んで)後、能(よ)く薬を服せむより、病(やむ)前、能(く)自(みずから)防(ふせ)ぐにしかず。
邵康節の詩には、「病気になった後に薬を服用するよりも、病気になる前に自己防衛をするほうが良い」という意味があります。
この詩は、病気が発生してから治療するのではなく、予防に重点を置くべきだという教えを示しています。つまり、病気にならないように自己の行動や生活態度を正しく管理し、予防策を講じることが重要。
以上が、引用された文章の大意です。

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