養生訓105

貧賎(ひんせん)なる人も、道を楽しんで日をわたらば、大(だい)なる幸なり。
しからば、一日を過(すご)す間も、その時刻、永(なが)くして楽(たのしみ)多かるべし。
いはんや一(いち)とせをすぐる間、四時(しじ)の、おりおりの楽(たのしみ)、日々に、きはまりなきをや。
此如(このごとく)にして年(とし)を多くかさねば、其(その)楽(たのしみ)長久(ちょうきゅう)にして、其(その)しるしは寿(なが)かるべし。
知者(ちしゃ)の楽(たのし)み、仁者(じんしゃ)の寿(じゅ)は、わが輩(やから)及(および)がたしといへども、楽より寿(じゅ)にいたれる次序(じちょ)は相(あい)似(に)たるなるべし。

通解

金銭的に貧しい人でも、人生を楽しみながら日々を過ごすならば、大きな幸福を手にしたものになるでしょう。したがって、一日を通じて、その瞬間を長く楽しむことが大切です。一瞬の快楽を追求するのではなく、四季ごとの色々な楽しみや、日々の小さな喜びを感じることが幸せです。これらの瞬間を積み重ねることで、幸福が長く続き、その兆候は寿命を延ばすことに繋がります。

知識人の楽しみや、仁愛を持つ人の寿命は、私たち一般の人々のそれとは違うかもしれませんが、楽しみから生まれる喜びや仁愛から生まれる幸福は同じであるはずです。どちらも幸福な生活には重要な要素です。

意訳

四季のうつろいを楽しむことは、万民すべてに与えられた権利でしょう。それを、長く続けられることが幸せの原点です。例え、貧しくとも、人生を水の流れるように悠々と楽しみ、そして、欲に溺れることなく、人生を送ることが長生きで幸福だということです。

気づき

人生の楽しみとは、その方の価値観によるようですね。お金や財産が好きな人は、それが、増えれば幸せだと感じるでしょうし、そこに価値観がない人は、生きれる分の貯蓄があれば良いとかんがえるでしょう。いずれにしても、健康で長生きすることが一番かも知れませんね。





https://youtu.be/zBib2j0kLHU

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