養生訓88

俗人(ぞくじん)は、慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず。理気二(りきふたつ)ながら失へり。仙術(せんじゅつ)の士は養気(ようき)に偏(へん)にして、道理を好まず。
故に礼儀をすててつとめず。
陋儒(ろうじゅ)は理(り)に偏(へん)にして気を養はず。
修養(しゅうよう)の道をしらずして天年をたもたず。
此(この)三つは、ともに君子の行ふ道にあらず。

意訳

欲深な人は欲を我慢しません。偏狭な人は偏り過ぎて礼儀の背きます。理論家の人は理屈に偏り実行が伴いません。このような人は、養生の人とは、いいません。

通解

一般の人々は、欲望に従い礼儀を無視し、気を養うことを怠って天命を短くする傾向があります。理と気の両方を失ってしまいます。一方、仙術の修行者は気を過度に重視し、道理を軽視します。そのため、礼儀を捨てて努力しないことがあります。

陋儒(ろうじゅ)は理を過度に重視し、気を養うことを怠る傾向があります。修養の道を知らずに天命を短くします。これらの三つの姿勢は、どれも君子の行うべき道ではありません。

気づき

養生することは、意外とバランスが大切かも知れませんね。

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