養生訓88

俗人(ぞくじん)は、慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず。理気二(りきふたつ)ながら失へり。仙術(せんじゅつ)の士は養気(ようき)に偏(へん)にして、道理を好まず。
故に礼儀をすててつとめず。
陋儒(ろうじゅ)は理(り)に偏(へん)にして気を養はず。
修養(しゅうよう)の道をしらずして天年をたもたず。
此(この)三つは、ともに君子の行ふ道にあらず。

意訳

欲深な人は欲を我慢しません。偏狭な人は偏り過ぎて礼儀の背きます。理論家の人は理屈に偏り実行が伴いません。このような人は、養生の人とは、いいません。

通解

一般の人々は、欲望に従い礼儀を無視し、気を養うことを怠って天命を短くする傾向があります。理と気の両方を失ってしまいます。一方、仙術の修行者は気を過度に重視し、道理を軽視します。そのため、礼儀を捨てて努力しないことがあります。

陋儒(ろうじゅ)は理を過度に重視し、気を養うことを怠る傾向があります。修養の道を知らずに天命を短くします。これらの三つの姿勢は、どれも君子の行うべき道ではありません。

気づき

養生することは、意外とバランスが大切かも知れませんね。

「仙術」とは

「仙術」(Xianshu)は、中国の伝統的な宗教や哲学に関連する概念で、主に道教と関連付けられるものです。仙術は道教の実践や思想の一部として位置づけられており、仙人(Xian)と呼ばれる霊的な存在を追求し、不老不死や神秘的な力を獲得しようとする道教の修行法や実践を指します。

以下は仙術に関連するいくつかの主要な要点です:

仙人(Xian): 仙人は不老不死を達成し、超自然的な力を持つとされる存在で、道教の実践者たちが目指す存在です。仙人は、長寿や精神的な成長を追求し、仙術によって超越的な存在になるとされています。

仙術の実践: 仙術の実践は、禅定、瞑想、呪文、薬物、呼吸法、体操、食事制限など、さまざまな手法を組み合わせて行われます。これらの実践は不老不死や神秘的な力を得るための手段として用いられ、仙人への近道とされています。

道教と仙術: 仙術は主に道教の実践として広まりました。道教は仙人の追求と長寿、健康、精神的な成長に焦点を当てる宗教であり、仙術はその一部として位置づけられています。

薬物と仙術: 一部の仙術の実践には、特定の薬物や薬草の摂取が含まれることがあります。これらの薬物は長寿や神秘的な力を得る手助けとされ、一部の道教実践者が使用します。

仙術は中国の歴史と文化において重要な役割を果たし、道教の一派として伝統的な宗教的実践として今日でも存在しています。一部の人々は、仙術を通じて長寿や健康、精神的な成長を追求し、超自然的な力や不老不死を目指すことがあります。

「陋儒」とは

「陋儒」(lòu rú)は、中国の儒教哲学において、儒教の理念や倫理に対する遵守が不足しているとされる人々を指す表現です。この言葉は、「陋」(lòu)は「粗野」や「未熟」を意味し、「儒」(rú)は「儒教」のことを指します。したがって、「陋儒」は、儒教の理念を適切に実践していない、あるいは儒教の教えに反する行動や態度を持つ人々を指す際に使用されます。

陋儒は、儒教の倫理的な価値観や社会的な規範に従わない人々を指して批判的に使用されることがあります。陋儒の例として、儒教の倫理的な原則に従わない政府の官僚、道徳的でない商人、倫理観に欠ける人々が挙げられます。陋儒は、儒教によって提唱される人間関係や社会秩序の理念に反する行動や態度を持つ者として非難されることがあります。

陋儒の概念は、儒教の教義を尊重し、それに従った道徳的な生活を奨励するために使用されることがあり、儒教の実践において改善が必要な点を強調するためにも利用されます。儒教の理念は中国の伝統的な社会において非常に重要であり、陋儒の批判は儒教の価値観の普及と応用に対する注意喚起を意味します。

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