養生訓22(巻第一総論上)
「身をたもち生(せい)を養ふに、一字の至(いた)れる要訣(ようてい)あり。是を行へば生命を長くたもちて病なし。
おやに孝あり、君(きみ)に忠(ちゅう)あり、家をたもち、身をたもつ。行なふとしてよろしからざる事なし。
其(その)一字なんぞや。畏(おそるる)の字是なり。畏るるとは身を守る心法(しんぽう)なり。
事ごとに心を小にして気にまかせず、過(あやまち)なからん事を求め、つねに天道(てんどう)をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏(おそ)れてつつしみ忍ぶにあり。
是畏るるは、慎しみにおもむく初なり。畏るれば、つつしみ生ず。
畏れざれば、つつしみなし。故に朱子、晩年(ばんねん)に敬(うやまう)の字をときて曰(いわく)、敬(うやまう)は畏の字これに近し。
意訳
健康長寿の秘訣が一字に込められた言葉があります。その言葉とは畏れです。
畏れとは、慎みの精神の原点です。
慎みとは、何事も過度避け、自分自身をコントロールすることです。
ストレスを出来るだけ少なくし、過度の労働を避け、人間関係においては自分の価値観と異なる人と縁しないことです。
養生の原点は畏れと慎みです。
通解
「身を守り生命を維持するためには一つの重要な要訣があります。これを実践することで健康を保ち長寿であり病気を遠ざけることができます。
その要訣とは、『畏』(おそれる)という一字です。『畏』とは身を守る心構えの方法を指します。
世の全てにおいて、慢心を抑え世間に流されず悪い縁に紛動されず、常に天の道を畏れ、慎み深く行動し、私欲を恐れて慎み忍ぶことにあります。『畏』を持つことは、身を守る心構えが生まれます。逆に、畏れなければ慎み深い心構えは生じないのです。
だからこそ、朱子は晩年に『敬』(うやまう)の字を用いて言ったと伝えられています。『敬』とは『畏』の字に近い意味を持つ言葉です。」
「心法(しんぽう)」とは
「心法(しんぽう)」は、主に仏教の文脈で使われる用語で、心や精神に関連する法則や方法、修行法などを指す言葉です。仏教の教えでは、心の訓練や精神的な成長が重要視され、そのためにさまざまな心法が提唱されています。心法は、個人の精神的な成長や覚醒に役立つことを目的としています。