養生訓340(巻第七 用薬)
日本人は、中夏(ちゅうか)の人の健(けん)にして、腸胃(ちょうい)のつよきに及ばずして、薬を小服(しょうふく) にするが宜(よろ)しくとも、その形体大小(けいたいだいしょう)相似(あいに)たれば、その強弱の分量、などか、中夏の人の半(なかば)に及ぶべからざらんや。然(しか)らば、薬剤を今少(すこし)大(だい)にするが、宜(よ)しかるべし。たとひ、昔よりあやまり来りて、小服なりとも、過(あやま)つては、則(すなわち)改(あらため)るにはばかる事なかれ。今の時医(じい)の薬剤を見るに、一服(いっぷく)此如(かくのごとく)小(しょう) にしては、補湯(ほとう)といへども、接養(せつよう)の力なかるべし。況(いわんや)利湯(りとう)を用(もちい)る病は、外風寒肌膚(がいふうかんきふ)をやぶり、大熱(だいねつ)を生じ、内、飲食脾胃(いんしょくひい)に塞(ふさが)り、積滞(せきたい)の重き、欝結(うっけつ)の甚(はなはだ)しき、内外の邪気(じゃき)甚(はなはだ)つよき病をや。小(しょう)なる薬力を以(もって)大(だい)なる病邪(びょうじゃ)にかちがたき事、たとへば、一盃(ぱい)の水を以(もって)一車(いっしゃ)薪(たきぎ)の火を救(すく)ふべからざるが如(ごと)し。又、小兵(しょうへい)を以(もって)大敵(たいてき)にかちがたきが如(ごと)し。薬方、その病によく応ずとも、かくのごとく小服にては、薬に力なくて、効(しるし)あるべからず。砒毒(ひどく)といへども、人、服する事一匁(もんめ)許(ばかり)に至(いた)りて死すと、古人いへり。一匁よりすくなくしては、砒霜(ひそう)をのんでも死なず、河豚(ふぐ)も多く、くらはざれば死なず。つよき大毒(だいどく)すらかくの如し。況(いわんや)ちからよはき小服(しょうふく)の薬、いかでか大病にかつべきや。此理(このり)を能(よく)思(おも)ひて、小服(しょうふく)の薬、効(こう)なき事をしるべし。今時の医の用る薬方(やくほう)、その病に応ずるも多かるべし。しかれども、早く効(こう)を得(え)ずして癒(いえ)がたきは、小服にて薬力(やくりき)たらざる故に非(あら)ずや。
養生訓(意訳)
病気の時には、症状にあった適正な分量の薬剤を服することが肝要です。
通解
日本人は中華の人々よりも消化器官が弱く、薬を小服にすることが適しているとされますが、体格や形体の大小は似ているため、強さや量の分量は中華の人々の半分程度では不十分ではないでしょうか。
したがって、時として、薬剤の服用量を増やすことが適切でしょう。昔からのやり方が間違っているとしても、誤ったやり方を続ける必要はありません。
今の薬剤を見ると、一服であっても小服とされるものであっても、補湯と呼ばれるような栄養補給の力はないでしょう。特に利湯を使用する場合は、外部からの風や寒さによる肌への刺激や高熱の発生、内部での飲食物の消化不良や滞り、重いうつ状態や邪気の強い病気などがあります。小さな薬の力だけでこれらの大きな病邪に対処することは困難であり、たとえば一杯の水で一台の薪の火を救うことはできないと古人は言っています。また、小さな兵力で大きな敵に対抗することも難しいです。薬方が病気に適切に応じていても、このような小服では薬の力が足りず、効果が得られないでしょう。
砒毒でさえ、わずか1匁(約3.75グラム)の服用で死ぬと言われていますが、それ以下の量では砒霜を摂っても死なないことや、フグを多く摂っても中毒しないことがあります。強力な大毒でも、このようなものです。
この理論を考えると、早く効果を得ることができずに治りにくい場合は、小服による薬力が足りないためではないでしょうか。
外風寒肌膚とは
外風寒肌膚とは、中国の伝統医学である中医学(漢方医学)の概念の一つです。これは、外気の寒さが体表の皮膚に直接影響し、さまざまな症状を引き起こす状態を指します。
外風寒肌膚の症状には、肌の乾燥や荒れ、赤み、痛み、そして寒気感などが含まれます。これは一般に、風や寒さが体表に直接作用することによって引き起こされる不快な症状です。この概念は、身体の表面的な変化だけでなく、体の内部のバランスやエネルギーの流れにも関連しています。
欝結とは
「欝結(うつけつ)」という言葉は、日本語で「うつ病の状態が長引くこと」を指すこと。つまり、うつ病が慢性化している状態や、長期間にわたってうつ状態が続いていることを表現する言葉です。
砒毒とは
「砒毒(ひどく)」とは、砒素(ひそ)という有毒な元素による中毒のことを指します。砒素は自然界に存在し、一部の鉱物や土壌に含まれていますが、摂取すると人体に非常に有害です。砒素中毒は消化器系、神経系、循環器系などに影響を及ぼし、重篤な症状を引き起こすことがあります。