養生訓318(第六巻 択医)
医書(いしょ)は、内経本草(ないけいほんぞう)を本(もと)とす。内経(ないけい)を考へざれば、医術(いじゅつ)の理(り)、病(やまい)の本源(ほんげん)をしりがたし。本草(ほんそう)に通ぜざれば、薬性(やくせい)をしらずして方(ほう)を立(たて)がたし。且(かつ)、食性(しょくせい)をしらずして宜禁(ぎきん)を定(さだめ)がたく、又、食治(しょくじ)の法をしらず。此(この)二書(にしょ)を以(もって)医学(いがく)の基(もとい)とす。二書(にしょ)の後、秦越人(しんえつじん)が難経(なんけい)、張仲景(ちょうちゅうけい)が金匱要略(きんきようりゃく)、皇甫謐(こうほひつ)が甲乙経(こいおつけい)、巣元方(すげんほう)が病源候論(びょうげんこうろん)孫思邈(そんしばく)が千金方(せんきんほう)、王燾(おうとう)外台秘要(がいだいひよう)、羅謙甫(らけんほ)が衛生宝鑑(えいせいほうかん)、陳無択(ちんむたく)が三因方(さんにんほう)、宋の恵民局(けいみんきょう)の和剤(かざい)局方証類(きょくほうしょうるい)、本草序例(ほんそうじゅれい)、銭仲陽(しんちゅうよう)が書(しょ)、劉河間(りゅうかかん)が書(しょ)、朱丹溪(しゅうたんけい)が書(しょ)、李東垣(りとうえん)が書、楊珣(ようしゅん)が丹溪心法(たんけいしんぽう)、劉宗厚(りゅうそうこう)が医経小学(いけいしょうがく)、玉機微義(ぎょくきびぎ)、熊宗立(ゆうそうりゅう)が医書大全(いしょだいぜん)、周憲王(しゅうけんおう)の袖珍方(しゅうちんほう)、周良采(しゅうりょうさい)が医方選要(いほうせんよう)、薛立斎(せつりゅうさい)が医案(いあん)、王璽(おうじ)が医林集要(いりんしゅうよう)、楼英(ろうえい)が医学綱目(いがくこうもく)、虞天民(ぐれんみん)が医学正伝(いがくせいでん)、李挺(りてい)が医学入門(いがくにゅうもん)、江篁南(こうこうなん)が名医類案(めいりるいあん)、呉崑(ごこん)が名医方考(めいいほうこう)、龔挺賢(きょうていけん)が書(しょ)数種(すうしゅ)、汪石山(おうせきざん)が医学原理(いがくげんり)、高武(こうぶ)が鍼灸聚英(しんきゅうじゅえい)、李中梓(りちゅうし)が医宗必読(いしゅうひつどく)、頤生微論(いせいびろん)、薬性解(やくせいかい)、内経知要(ないけいちよう)あり。又(また)薛立斎(せつりゅうさい)が十六種(じゅうろくしゅ)あり。医統正脈(いとうせいみゃく)は四十三種(よんじゅうさんしゅ)あり。歴代名医(れきだいめいい)の書をあつめて一部(いちぶ)とせり。是(これ)皆(みな)、医生(いせい)のよむべき書(しょ)也。年わかき時、先(まず)儒書(じゅしょ)を記誦(きしょう)し、其(その)力(ちから)を以(も)って右(みぎ)の医書をよんで能(よく)記(き)すべし。
養生訓(意訳)
医者は、専門領域だけでなく、他の領域の知識を得るために日夜精進すべきです。
通解
医学の基本となる書物は、内経本草が本とされています。内経を理解しなければ、医術の原理や病気の本質を理解することは難しいでしょう。また、本草を熟知しなければ、薬の性質を理解せずに処方することも困難であり、適切な治療法を立てることも難しいです。さらに、食事の性質を理解せずに禁忌を定めることや、食事による治療法を知らないことも問題です。
これらの二つの書物を基礎として医学を学ぶべきです。その後、秦の越人が難経、張仲景が金匱要略、皇甫謐が甲乙経、巣元方が病源候論、孫思邈が千金方、王燾が外台秘要、羅謙甫が衛生宝鑑、陳無択が三因方、宋の恵民局の和剤局方証類、本草序例、銭仲陽が書、劉河間が書、朱丹溪が書、李東垣が書、楊珣が丹溪心法、劉宗厚が医経小学、玉機微義、熊宗立が医書大全、周憲王の袖珍方、周良采が医方選要、薛立斎が医案、王璽が医林集要、楼英が医学綱目、虞天民が医学正伝、李挺が医学入門、江篁南が名医類案、呉崑が名医方考、龔挺賢が書数種、汪石山が医学原理、高武が鍼灸聚英、李中梓が医宗必読、頤生微論、薬性解、内経知要などがあります。また、薛立斎が十六種の書物を著しました。医統正脈には四十三種の書物が含まれています。歴代の名医の著作を集めて一部とすると、これらは医師が読むべき書物です。
若い時にはまず儒学の書物を習い、その力を以って医書を読んで理解することが重要です。