養生訓315(第六巻 択医)
薬の病に応ずるに適中(てきちゅう)あり、偶中(ぐちゅう)あり。適中は良医(りょうい)の薬、必ず、応(おう)ずる也。偶中(ぐちゅう)は庸医(ようい)の薬(くすり)不慮(ふりょ)相応ずるなり。是(これ)其(その)人(ひと)に幸(さち)ある故に、術(じゅつ)はつたなけれども、幸(さいわい)にして病(やまい)に応(おう)じたる也。もとより庸医(りょうい)なれば、相応(あいおう)ぜざる事(こと)多し。良医の適中(てきちゅう)の薬を用(もち)ふべし。庸医(りょうい)は、たのもしげなし。偶中(ぐちゅう)の薬はあやふし。適中は能(よく)射(い)る者の的にあたるが如し。偶中(ぐちゅう)は拙(つたな)き者の不慮(ふりょ)に、的(まと)に射(い)あつるが如(ごと)し。
養生訓(意訳)
良医は弓の名手に似ています。患者の病の的に的中させます。良医に巡り合うことは幸運です。
通解
薬の効果が病に適切に応じる場合と、偶然に合致する場合があります。適中は優れた医師が処方した薬であり、必ずしも応じるとは限りません。偶中は普通の医師が処方した薬であり、思いがけない効果が現れることがあります。これはその人が幸運にも病に合致したためであり、医師の技術が未熟でも、幸運にも病に適した治療が行われることがあります。本来、普通の医師では適切でないことが多いのです。良医の適切な薬を使用するべきです。普通の医師は頼りになりません。偶中の薬は危険です。適中は熟練した者が的確に射る的に当たることに例えられます。偶中は未熟な者が思いがけなく的に命中することに例えられます。