養生訓301(第六巻 択医)
凡(およそ)医(い)となる者は、先(まず)儒書(じゅしょ)をよみ、文義(ぶんぎ)に通ずべし。文義(ぶんぎ)通(つう)ぜざれば、医書(いしょ)をよむちからなくして、医学(いがく)なりがたし。又、経伝(きょうでん)の義理(ぎり)に通ずれば、医術(いじゅつ)の義理(ぎり)を知りやすし。故(ゆえ)に孫思邈(そんしばく)曰(いわく)、凡(およそ)大医(だいい)と為(な)るには先(ま)づ儒書(じゅしょ)に通ずべし。又(また)曰(いわく)、易(えき)を知らざれば以(もって)て医(い)と為(な)る可(べ)からず。此言(このげん)、信ずべし。諸芸(しょげい)をまなぶに、皆(この)文学(ぶんがく)を本(もと)とすべし。文学(ぶんがく)なければ、わざ熟(じゅく)しても理(り)にくらく、術(じゅつ)ひきし。ひが事(こと)多けれど、無学(むがく)にしては、わがあやまりをしらず。医を学ぶに、殊(こと)に文学(ぶんがく)を基(もとい)とすべし。文学(ぶんがく)なければ、医書をよみがたし。医道(いどう)は、陰陽五行(いんようごきょう)の理(り)なる故、儒学のちから、易(えき)の理(り)を以(もって)、医道(いどう)を明(あき)らむべし。しからざれば、医書(いしょ)をよむちからなくして、医道(いどう)をしりがたし。
養生訓(意訳)
医を志す人は、まず、向学心が第一です。
通解
医者になる人は、まず儒書を読み、その文義に通じる必要があります。文義に通じていなければ、医書を読む力もなく、医学を理解することは難しいでしょう。また、経伝の義理に通じていれば、医術の義理を理解しやすくなります。そのため、孫思邈は「凡大医となるにはまず儒書に通じるべし」と言いました。また、「易を知らなければ医となることはできない」とも言っています。これらの言葉は信じるべきです。
あらゆる芸術を学ぶ際には、すべて文学を基礎とすべきです。文学がなければ、技術を熟達しても理論に欠け、技術的な応用が困難になります。さまざまな事柄がある中で、無学であると自分の過ちに気づけません。医学を学ぶにあたっては、特に文学を基礎とすべきです。文学がなければ、医書を読むことも難しくなります。
医道は陰陽五行の理に基づいていますので、儒学の力と易の理を用いて医道を明らかにする必要があります。したがって、医書を読む力がなければ医道を理解することは難しいのです。