養生訓237(巻第四 慎色欲)

孫真人(そんしんじん)が千金方に、房中補益説(ぼうちゅうほえきせつ)あり。年四十に至(いた)らば、房中(ぼうちゅう)の術を行(おこな)ふべしとて、その説、頗(すこぶる)詳(つまびらか)なり。その大意(たいい)は、四十以後、血気(けっき)やうやく衰(おとろえ)ふる故、精気(せいき)をもらさずして、只(ただ)しばしば交接(こうせつ)すべし。如此(かくのごとく)すれば、元気へらず、血気(けっき)めぐりて、補益(ほえき)となるといへる意(こころ)なり。ひそかに、孫思邈(そんしばく)がいへる意(い)をおもんみるに、四十以上の人、血気いまだ大(おおいに)に衰(おとろ)へずして、槁木死灰(こぼくしかい)の如くならず、情慾(じょうよく)、忍びがたし。然(しか)るに、精気をしばしばもらせば、大(おおい)に元気をついやす故、老年(ろうねん)の人に宜(よろ)しからず。ここを以(も)って、四十以上の人は、交接(こうせつ)のみ,しばしばにして、精気(せいき)をば泄(もら)すべからず。四十以後は、腎気(じんき)やうやく衰(おとろえ)る故、泄(もら)さざれども、壮年(そうねん)のごとく、精気(せいき)動かずして滞(とどこう)らず。此法(このほう)行ひやすし。
この法を行へば、泄(もら)さずして情慾(じょうよく)は,とげやすし。然(しか)れば、是(これ)気をめぐらし、精気(せいき)をたもつ良法(りょうほう)なるべし。四十歳以上、猶(なお)血気(けっき)甚(はなはだ)衰(おとろ)へざれば、情慾(じょうよく)をたつ事は、忍(しの)びがたかるべし。忍べば却(かえっ)て害あり。もし年老(としおいて)てしばしばもらせば、大(おおいに)に害あり。故に時にしたがって、此法(このほう)を行なひて、情慾をやめ、精気(せいき)をたむつべし、とや。 是によって精気をついやさずんば、しばしば交接(こうせつ)すとも、精も気も少ももれずして、当時の情欲はやみぬべし。是(これ)古人(こじん)の教(おしえ)、情欲のたちがたきを,おさへずして、精気を保つ良法なるべし。人身(じんしん)は脾胃(ひい)の養を本(もと)とすれども、腎気堅固(じんきけんご)にしてさかんなれば、丹田(たんでん)の火(ひ)蒸(む)上げて、脾土(ひど)の気も亦(なお)温和(おんわ)にして、盛(さかん)になる故、古人(こじん)の曰(いわく)、「脾(ひ)を補(おぎな)ふは、腎(じん)を補(おぎ)なふにしかず」。若年(じゃくねん)より精気(せいき)ををしみ、四十以後、弥(いよいよ)精気(せいき)をたもちてもらさず、是(これ)命の根源を養(やし)なふ道也(なり)。此法(このほう)、孫思邈(そんしばく)後世(こうせ)に教へし秘訣(ひけつ)にて、明らかに千金方にあらはせ共、後人(こうじん)、其術(そのじゅつ)の保養(ほよう)に益ありて、害なき事をしらず。丹溪(たんけいが如き大医(たいい)すら、偏見(へんけん)にして孫真人(そんしんじん)が教(おしえ)を立(たて)し本意(ほんい)を失ひて信ぜず。此(この)良術(りょうじゅつ)をそしりて曰(いわく)、聖賢(せいけん)の心、神仙(しんせん)の骨(こつ)なくんば、未易為(みいい)。もし房中(ぼうちゅう)を以(もって)補(おぎない)とせば、人を殺す事(こと)多からんと、各致余論(かくちょろん)にいへり。聖賢(せいけん)・神仙(しんせん)は世に難(なん)有(あり)ければ、丹溪(たんけい)が説の如くば、此法(このほう)は行ひがたし。丹溪が説(せつ)うたがふべき事(こと)猶(なお)多し。才学高博(さいがくこうはく)にして、識見偏僻(しきけんへんぺき)なりと云うべし。