養生訓323(第六巻 択医)
局方発揮(きょくほうはっき)、出(いで)て局方(きょくほう)すたる。局方(きょくほう)に古方(こほう)多し。古(いにしえ)を考(かんがえ)ふるに用(もちう)べし。廃(す)つべからず。只(ただ)、鳥頭附子(うずぶし)の燥剤(そうざい)を多くのせたるは、用(もち)ゆべからず。
近古(きんこ)、日本に医書大全(いしょだいぜん)を用(もち)ゆ。龔挺賢(きょうていけん)が方書(ほうしょ) 流布(るふ)して、東垣(とうえん)が書(しょ)及医書大全(いしょだいぜん)、其外(そのほか)の良方(りょうほう)をも諸医(しょうい)用(もちい)ずして、医術(いじゅつ) せばくあらくなる。三因方(さんぽうい)、袖珍方(しゅうちんほう)、医書大全(いしょだいぜん)、医方選要(いほうせんよう)、医林集要(いりんしゅうよう)、医学正伝(いがくせいでん)、医学綱目(いがくこうもく)、入門、方考原理(ほうこうげんり)、奇効良方(きこうりょうほう)、証治準縄(しょうじじゅんじょう)等、其外(そのほか)、方書(ほうしょ)を多く考(かんが)へ用(もち)ゆべし。入門は、医術の大略(だいりゃく)備(そなわ)れる好書(こうしょ)也。
龔廷賢(きょうていけん) が書(しょ)のみ偏(ひとえ)に用(もち) ゆべからず。龔(きょう) 氏が医療は、明季(みんり)の風気衰弱(ふうきすいじやく)の時宜(じぎ)に頗(そこぶる)かなひて、其術(そのじゅつ)、世(よ)に行(おこな)はれし也。日本にても亦(なお)しかり。しかるべき事は、ゑ(え)らんで所々(しょしょ)取用(とりもち)ゆべし。悉(ことごと)くは信ずべからず。其(その)故にいかんとなれば、雲林(うんりん)が医術(いじゅつ)、其(その)見識(けんしき)ひきし。他人の作れる書をうばひてわが作とし、他医(たい)の治(ち)せし療功(りょうこう)を奪(うばっ)てわが功(こう)とす。不経(ふけい)の書を作りて、人に淫(いん)ををしえ、紅鉛(こうえん)などを云(いう)穢悪(あいあく)の物をくらふ事を、人にすゝめて良薬(りょうやく)とす。わが医術(いじゅつ)をみづから衒(てら)ひ、自(みずから)ほむ。是皆(これみな)、人の行穢(あいこう)なり。いやしむべし。
養生訓(意訳)
古の知恵を疎かにしてはいけません。医学においても、然るべき時は、その新旧の知恵を時に応じて選んで用いることが大切です。
通解
局方を発揮し、自身の局方を活用することが重要です。古い方書を考慮する必要がありますが、ただし鳥頭附子のような乾燥剤を多量に使用することは避けるべきです。
近代においては、日本でも医書大全を活用しました。龔挺賢の方書が広まり、東垣が書や医書大全、他の良方も多くの医師が使用し、医術が向上しました。三因方、袖珍方、医書大全、医方選要、医林集要、医学正伝、医学綱目、入門、方考原理、奇効良方、証治準縄など、多くの方書を考慮するべきです。特に入門書は、医術の要点がまとめられた優れた書籍です。
ただし、龔廷賢の書籍だけに偏って依存するべきではありません。龔氏の医術は、明朝時代の風潮が衰退した時期に適していたため、その術は広まりましたが、日本でも同様です。適切な事柄は選び、必要な場面で使用すべきです。すべてを盲信することは避けるべきです。そのため、雲林の医術や見識を尊重するべきです。他の医師の治療成果を奪い、自身の功績とすることや、不正確な書を作成し、人に有害な薬を推奨することは避けるべきです。自身の医術を誇示したり自慢したりすることも、他人の行いを汚すことになります。これらは避けなければなりません。