養生訓125(巻第二総論下)

天地(てんち)の理(ことわり) 、陽(よう)は一、陰(いん)は二也。水は多く火は少し。水、はかはきがたく、火は消えやすし。人は陽類(ようるい)にて少く、禽獣虫魚(きんじゅうちゅうぎよ)は陰類(いんるい)にて多し。此故に陽はすくなく、陰は多き事、自然の理なり。すくなきは貴(とう)とく多きはいやし。君子は陽類にて少く、小人は陰類(いんるい)にて多し。易道(えきどう)は陽を善として貴(たっ)とび、陰を悪としていやしみ、君子(くんし)を貴とび、小人をいやしむ。水は陰類なり。暑月(しょげつ)はへるべくしてますます多く生ず。寒月(かんげつ)はますべくしてかへつてかれてすくなし。春夏(しゅんか)は陽気(ようき)盛(さかん)なる故に水多く生ず。秋冬(しゅうとう)は陽気変る故水すくなし。血は多くへれども死なず。気多くへれば忽(たちまち)死す。吐血(とけつ)・金瘡(きんとう)・産後など、陰血大(いんけつだい)に失する者は、血を補(おぎな)へば、陽気いよいよつきて死す。気を補へば、生命をたもちて血も自(おのずから)生ず。古人(こじん)も「血脱(ちだっ)して気を補(いぎな)ふは、古聖人(こせいじん)の法なり」、といへり。人身は陽、常(つね)にすくなくして貴とく、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴(たっ)とんでさかんにすべし。陰をいやしんで抑(おさ)ふべし。元気、生生(いきいき)すれば真陰(しんいん)も亦生ず。陽(よう)盛(さかん)なれば陰(いん)自(おのずから)長(ちょう)ず。陽気(ようき)を補(おぎな) へば陰血(いんけつ)自(みずか)ら生ず。もし陰不足(いんふそく)を補はんとて、地黄(ちおう)・知母(ちぼ)・黄栢等(おうはく)、苦寒(くかん)の薬を久しく服すれば、元陽(げんよう)をそこなひ、胃の気、衰(おとろえ)て、血を滋生(じせい)せずして、陰血(いんけつ)も亦消ぬ。又、陽不足(ようふそく)を補(いぎな)はんとて、烏附(うぶ)等の毒薬(どくやく)を用ゆれば、邪火(じゃか)を助けて陽気(ようき)も亦亡ぶ。是は陽を補ふにはあらず。丹渓(たんけい)が陽有余陰不足論(ようゆうよいんふそくろん)は何の経に本(もと)づけるや、其(その)本拠(ほんきょ)を見ず。もし丹渓一人(ひとり)の私言(しげん)ならば、無稽(むけい)の言(げん)信じがたし。易道(ようどう)の陽(よう)を貴(たっ)とび、陰を賎(いや)しむの理にそむけり。もし陰陽(よういん)の分数(ぶんすう)を以って其(その)多少(たしょう)をいはゞ、陰有余陽不足(いんようよようふそく)とは云べし。陽有余陰不足(ようゆよちんふそく)とは云がたし。後人(こうじん)其(その)偏見(へんけん)にしたがひてくみするは何ぞや。凡(およそ)識見なければ其(その)才弁(さいべん)ある説に迷ひて、偏執(へんしつ)に泥(なず)む。丹渓(たんけい)はまことに振古(しんこ)よりの名医なり。医道(いどう)に功あり。彼の補陰(ほいん)に専(もっぱら)なるも、定めて其時の気運に宜(よろ)しかりしならん。然(し)れども、医の聖(ひじり)にあらず。偏僻(へんぺき)の論(ろん)、此外(このほか)にも猶多し。打まかせて悉(ことごと)くには信じがたし。功過相半(こうかあいはん)せり。其(その)才学(さいがく)は貴(たっと)ぶべし。其(その)偏論(へんろん)は信ずべからず。王道は偏(へん)なく党なくして平々(へいへい)なり。丹渓(たんけい)は補陰(ほいん)に偏(へん)して平々ならず。医の王道とすべからず。近世(きんせ)は人の元気漸(ようやく)衰(おと)ろふ。丹渓が法にしたがひ、補陰(ほいん)に専(もっぱら)ならば、脾胃(ひい)をやぶり、元気をそこなはん。只(ただ)東垣(とうがき)が脾胃(ひい)を調理する温補(おんほ)の法、医中(いちゅう)の王道なるべし。明(みん)の医の作れる軒岐救生論類経等(かんききゅうせいろんるいきょうとう)の書に、丹渓(たんけい)を甚(はなはだ)誹(そし)れり。其(その)説頗(すこぶ)る理あり。然れども是(これ)亦一偏(いっぺん)に僻(へき)して、丹渓が長ずる所をあはせて、蔑(ないがしろ)にす。枉(まが)れるをためて直(なおき)に過(す)と云べし。凡(およそ)古来術者(こらいじゅつしゃ)の言(げん)、往々(おうおう)偏僻(へんぺき)多し。近世(きんせ)明季(みんき)の医、殊(こと)に此病(このやまい)あり。択(えら)んで取捨(しゅしゃ)すべし。只(ただ)、李中梓(りちゅうちん)が説(せつ)は、頗(すこぶる)平正(へいせい)にちかし。

総論下 終

意訳

古より、名医と呼ばれる人の健康に関する書籍は、たくさんあります。ただ、その中には偏った論もあります。中には、真逆の論もあります。すべてを信じてはいけません。天地の理には、陰陽があります。まずは、自分の心と体を知ることが大切です。養生とは、自身の心と体を知る修行です。

通解

天地の法則は、陽が一であり、陰が二です。水は多く、火は少ないです。水は保つのが難しく、火は消えやすい性質です。人は陽性の特徴が少なく、鳥や獣、虫、魚などは陰性が多いです。このため、陽は貴であり、陰は多いとされ、自然の法則です。少ないものが尊ばれ、多いものは嫌われます。君子は陽性を尊ばり、小人は陰性を嫌います。易道では陽性を善として尊び、陰性を悪として避け、君子を尊び、小人を避けます。水は陰性の性質です。暑い時期にはますます多く生じますが、寒い時期にはますます減少します。春夏は陽気が盛んで水が多く生じますが、秋冬は陽気が変わるため水は少なくなります。血は多くても死に至りませんが、気が多すぎると急に死ぬことがあります。吐血や出血、産後など、陰血を大量に失う場合、血を補給しなければ陽気がますます消耗して死に至ります。気を補給すれば、生命を維持しつつ血も自然に生じます。古代の賢人も「血を失って気を補うは、古代聖人の教え」と言っています。人間の体は陽性で、常に少ないことが貴であり、陰性は多いことが好ましいとされます。このため陽性を尊び、陰性を抑えるように心掛けるべきです。元気があれば陰性も自然に増えます。陽性が盛んであれば陰性も自然に増えます。陽気を補給すれば陰血も自然に生じます。もし陰性が不足していると、地黄や知母、黄栢などの苦寒の薬を長期間摂取すると、元気を衰えさせ胃の消化力を低下させ、陰血の生成を妨げてしまいます。また、陽性不足を補うために烏附などの毒薬を使うと、邪火を助けて陽気も消耗してしまいます。これは陽を補う方法ではありません。丹渓の「陽有余陰不足論」はどの経典に基づくものかは不明です。もしこれが丹渓一人の個人的な意見なら、信じるのは難しいでしょう。医学の聖人ではありません。偏見に囚われているため、偏執的な主張に執着しています。丹渓は間違いなく古代からの名医であり、医学の道に貢献しましたが、陰を補うことに偏っており、医学の王道ではありません。近代になると人々の元気が次第に衰えていく傾向があります。丹渓の法則に従って補陰を専門にするのは、脾胃を傷つけ元気を衰えさせてしまいます。東垣の脾胃を調整する温補の方法が医学の王道です。近世明季の医学には、特にこの病気がありました。選択的に取捨するべきです。ただし、李中梓の説はかなり平正であり、理にかなっています。

気づき

何事も偏らず、中庸なのが良いのかも知れませんね。

李東垣とは、

『脾胃論』の著や、補中益気湯で名高い李東垣は、金元四大家の一人にかぞえられています。

「温補」とは

「温補」は、日本の伝統的な医学や健康観に関連する用語で、一般的に、温補は体の寒さを取り、身体の調和を保つための補強や補完の方法を指します。これは、漢方医学や東洋医学の観点から考えられる概念であり、陰陽説や五行説などの理論に基づいています。

李中梓とは

李中梓(1588年~1655年)は、中国の医学者で、字は士材、号は念莪、または尽凡とも呼ばれています。彼は上海浦東惠南鎮の出身で、父親が万暦十七年(1589年)の進士だったため、幼少期から良好な教育を受けていました。しかし、何度も試験に落ち、体が弱かったことから、彼は公務員の道を捨てて医学を学び始めました。李中梓は易水学派の一員で、『内経知要』の著者として知られています。
なお、易水学派とは、疾病の発生原因を研究し、特に体の弱さ(正気の虚)に注目した一派で、体力を養う方法(補益法)を用いて「内傷病」の治療を得意としたと言われています。